1980年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1980
投票率52.6%[1] 1.0%
候補者ロナルド・レーガンジミー・カーター
政党共和党民主党
出身地域カリフォルニア州ジョージア州
副大統領候補者
ジョージ・H・W・ブッシュ
ウォルター・モンデール
獲得選挙人48949
勝利地域数446 + DC
得票数43,903,23035,480,115
得票率50.7%41.0%
州別獲得選挙人分布図
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選挙前大統領
1980年アメリカ合衆国大統領選挙(1980ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1980)は、1980年11月4日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第49回)。現職の民主党ジミー・カーター大統領を、共和党のロナルド・レーガン候補が破って当選した。
予備選挙
共和党ジョン・バヤール・アンダーソン
候補者:
ジョン・バヤール・アンダーソン
選挙戦の序盤、党の推薦の候補は元CIA長官および共和党全国委員会議長のジョージ・ブッシュだった。しかしながら、初期の討論で右派で新自由主義者のロナルド・レーガンが経済問題についてブッシュと議論し、有力候補として頭角をあらわした。また選挙戦の途中で、共和党では数少ない「リベラル派」のアンダーソンが予備選挙を離脱、独立系候補として大統領選に出馬してしまう。 候補者: ジョン・F・ケネディ元大統領の弟のエドワード・ケネディは、1969年7月に起きた「チャパキディック事件」における倫理的責任と自己管理能力を問われ、カーターに敗れた。 選挙戦ではイランアメリカ大使館人質事件や経済的な不況から現職のカーターが苦戦を強いられた。また、大統領選の公開討論ではカーターがアンダーソンとの公開討論を拒否、カーターとレーガン、レーガンとアンダーソンの間でのみ公開討論会が行われた。 大統領候補副大統領候補政党選挙人投票 (EV)一般投票 (PV)
民主党
ジェリー・ブラウン - カリフォルニア州知事
ジミー・カーター - 現職大統領
エドワード・ケネディ - マサチューセッツ州上院議員
本選挙
結果
ロナルド・レーガン、カリフォルニア州 (当選)ジョージ・H・W・ブッシュ、テキサス州共和党48943,901,81250.7%
ジェームズ・E・カーター、ジョージア州ウォルター・モンデール、ミネソタ州民主党4935,483,82041.0%
ジョン・バヤール・アンダーソン