1980年の中日ドラゴンズ
[Wikipedia|▼Menu]

1980年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ6位
45勝76敗9分 勝率.372
[1]
本拠地
都市愛知県名古屋市
球場
ナゴヤ球場

球団組織
オーナー小山武夫
経営母体中日新聞社
監督中利夫
≪ 19791981 ≫

1980年の中日ドラゴンズ(1980ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1980年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、中利夫監督の3年目のシーズンである。
目次

1 概要

2 レギュラーシーズン

3 オールスターゲーム1980

4 できごと

5 選手・スタッフ

6 表彰選手

7 ドラフト

8 脚注

8.1 注釈

8.2 出典


概要

前年Aクラス入りし、故障からカムバックした谷沢健一の復帰で、中監督の3年目は優勝争いも期待されたが、蓋を開けてみればいきなり開幕から6連敗、2勝した後また6連敗を喫し、以後最下位から浮上することはなかった。投手陣では開幕投手を務めた前年の新人王・藤沢公也が開幕から9連敗、6月12日にようやく1勝を挙げるが結局それが唯一の白星となり1勝15敗で大きく期待を裏切った。他の投手も三沢淳の8勝が最高で、2リーグ分裂後初の2ケタ勝利ゼロに終わり、チーム防御率もリーグ最下位であった。一方の打撃陣では、前年に正遊撃手となった宇野勝が開幕前に故障して出遅れ、前年36本塁打の大島康徳も開幕直後に交通事故に遭い戦列を離れ、さらにギャレットジョーンズの両外国人も打撃不振で8月30日に揃って解雇されるなど、.369の高打率で2度目の首位打者となった谷沢以外は、田尾安志木俣達彦を除きほぼ壊滅状態であった。8月にも10連敗を喫したチームは、結局球団史上最低の勝率.372で12年ぶりの最下位に終わり、中監督は稲尾和久コーチと共に辞任。シーズン終了後に高木守道が現役を引退した。
レギュラーシーズン

開幕オーダー1二高木守道
2右石井昭男
3中ジョーンズ
4一大島康徳
5左井上弘昭
6三ギャレット
7捕木俣達彦
8遊田野倉正樹
9投藤沢公也

1980年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位広島--広島--広島--広島--広島--広島--広島--
2位ヤクルトヤクルト2.5ヤクルト5.0ヤクルト10.0ヤクルト8.5ヤクルト5.5ヤクルト6.5
3位巨人2.5阪神3.0大洋5.5阪神13.0巨人16.0大洋18.5巨人14.0
4位大洋3.0大洋3.5阪神8.5大洋14.0阪神17.5巨人19.0大洋16.0
5位阪神5.0巨人6.5巨人巨人16.0大洋18.0阪神19.5阪神20.5
6位中日7.5中日11.5中日17.5中日22.0中日30.0中日30.5中日30.0

1980年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
優勝広島東洋カープ734413.624-
2位ヤクルトスワローズ685210.5676.5
3位読売ジャイアンツ61609.50414.0
4位横浜大洋ホエールズ59629.48816.0
5位阪神タイガース546610.45020.5
6位中日ドラゴンズ45769.37230.0

[1]
オールスターゲーム1980詳細は「1980年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照

コーチ
中利夫

監督推薦
木俣達彦谷沢健一田尾安志(補充選手)
できごと

この節の加筆が望まれています。

選手・スタッフ

 中日ドラゴンズ 1980
監督30 中利夫
投手

11 三沢淳

12 高橋三千丈

13 堂上照


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:29 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef