1979年の映画
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4月21日 - 今村昌平監督が8年ぶりにメガホンを握った『復讐するは我にあり』が公開[14][15]


5月

5月2日 - 東宝取締役・映画プロデューサー藤本真澄(68歳)死去[5][6]。5月11日、東宝スタジオで社葬[3]

5月31日 - 東映、『甦れ魔女』(佐藤純彌監督)、1980年モスクワオリンピック記念日ソ合作映画として正式に調印[4]


6月

東宝グループの2月期連結業績を初めて発表[3]。連結会社34社で営業収入971億9300万円[3]

6月23日 - 東京・新宿東映劇場にミニ劇場・新宿東映ホールを開設[4]。同劇場のこけら落としはTCC(東京シネマサーキット)第1回作品『下落合焼とりムービー』(山本晋也監督)[16]

6月25日 - 東映洋画宣伝室、角川春樹事務所製作、東宝配給興行戦国自衛隊』(斎藤光正監督)の宣伝を担当[4][3]

6月30日

クリストファー・リーヴ主演の『スーパーマン』が公開[17]。1本の宣伝費としては破格の6億円を掛けたが、海外の成績に比較すると日本の興行は予想を下回る結果(配給収入28億円)に終わった[14]

幻の企画と言われた『あゝ野麦峠』(山本薩夫監督)が新日本映画によって映画化され、大ヒット[14][6](先行ロードショーは6月9日から[3])。



7月

影武者』の主演・勝新太郎黒澤明監督と衝突し、主役から降ろされる[14][18]。代役には仲代達矢[14][18]

7月2日 - オフィス・アカデミーと東映の業務提携発表[3]

7月7日 - 全米ベストセラーの映画化『将軍 SH?GUN』の日本ロケのため、サンフランシスコから出港した帆船ゴールデン・ハインド号が横浜港に入港[19]

7月14日

恒例の「東映まんがまつり」ではなく、「'79 ビッグサマーロードショー・宇宙戦艦ヤマトフェスティバル」(『宇宙戦艦ヤマト』/『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』に『海のトリトン』を併映)を全国東映劇場で封切[4]

大阪東映劇場・大阪東映パラス劇場が全面改装、道頓堀東映劇場・道頓堀東映パラス劇場に改称[4]


7月21日 - ジャッキー・チェンの『ドランクモンキー 酔拳』、先行ロードショー(8月4日、東映系全国一斉公開)、好成績[4]


8月

8月4日 - 東映りんたろう監督『銀河鉄道999』が公開され[20]、ヒット[21]

8月11日

テオ・アンゲロプロス監督『旅芸人の記録』が公開[22]岩波ホールは非商業ベースの映画『旅芸人の記録』やエルマンノ・オルミ監督『木靴の樹』(4月公開)などを興行面でも成功させている[14]

にっかつ、本社を東京都港区六本木へ移転[3]。最新設備のスタジオセンター完成披露[3]


8月25日 - 角川映画『蘇える金狼』、東映洋画系で封切(地域によっては『金田一耕助の冒険』と併映)、ヒット[4]


9月

9月8日 - 東映セントラルフィルム、『飢餓海峡』(内田吐夢監督、1965年公開)を4週上映、好成績[4]

9月15日 - 木下惠介監督が15年ぶりに古巣の松竹で製作した『衝動殺人 息子よ』が公開[14][23]


10月

10月5日 - 新国劇倒産[5][19]

10月10日 - 東映芸能ビデオインターナショナル・プロモーション(IP)と共同で名作映画『自転車泥棒』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督)・『忘れじの面影』(マックス・オフュルス監督)を配給[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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