1979年のヤクルトスワローズ
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1979年のヤクルトスワローズ
成績
セントラル・リーグ6位
48勝69敗13分 勝率.410
[1]
本拠地
都市東京都新宿区
明治神宮野球場

球団組織
オーナー松園尚巳
経営母体ヤクルト本社
監督広岡達朗(8月16日まで)
佐藤孝夫(8月17日から代行)
≪ 19781980 ≫

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1979年のヤクルトスワローズ(1979ねんのヤクルトスワローズ)では、1979年のヤクルトスワローズの動向をまとめる。

この年のヤクルトスワローズは、広岡達朗監督の4年目(途中就任の1976年を含む)のシーズンである。
概要

前年に初のリーグ優勝と日本一を果たしたヤクルトだったが、オフに中心打者のチャーリー・マニエルを守備走塁に難ありとの理由で放出。そして迎えた開幕戦で大洋田代富雄に3打席連続本塁打を浴び大敗すると、そこからズルズルと8連敗を喫し大きく出遅れる[2](開幕8連敗は2022年に阪神が更新するまでセ・リーグ記録)。5月に巻き返し、5月26日にはマニエルに代わる新外国人ジョン・スコットが阪神とのダブルヘッダーで第1試合に2ラン・満塁、第2試合のソロ・3ランの「サイクル本塁打」の活躍でチームは5割に復帰する。しかしそこから貯金を作れず6月に再び最下位に転落すると、さらに下旬には再び8連敗を喫し、5位の座が大きく遠のいていった。打撃陣ではマニエルの移籍でマークが厳しくなった大杉勝男と切り込み隊長のデーブ・ヒルトンが大きく成績を落とすなどチーム打率は最下位。一方の投手陣も前年15勝の安田猛が右膝の故障でわずか1勝、マニエルとの交換で近鉄から移籍した神部年男も6勝止まりとふるわず、チーム防御率は4点台後半4.60と、こちらも最下位に低迷した。8月中旬にはセ・リーグの借金を独占するなど低迷から抜け出せないチームは8月14日に森昌彦ヘッドコーチと植村義信投手コーチの休養を発表すると、3日後には広岡監督が辞任を発表。投打の主力が故障や不振にあえいだヤクルトは前年の日本一からわずか1年で1971年以来、8年ぶりの最下位に転落。5位の巨人に8.5ゲーム離されたものの唯一勝ち越して全球団負け越しは免れた。不甲斐ない成績に終わった主力選手たちは、松園尚巳オーナーの命令でオフにヤクルト販売員の社会勉強に駆り出された[3]
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1中スコット
2二角富士夫
3左若松勉
4一大杉勝男
5三ヒルトン
6右杉浦亨
7捕大矢明彦
8遊水谷新太郎
9投松岡弘

1979年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位巨人--巨人--巨人--中日--広島--広島--広島--
2位大洋0.5中日3.0中日0.5広島2.5阪神4.5阪神10.0大洋6.0
3位阪神1.0大洋大洋1.0大洋3.5中日4.5大洋10.5中日7.5
4位中日1.5広島4.5広島2.0阪神3.5巨人5.0巨人12.0阪神8.0
5位広島3.5ヤクルト4.5阪神4.0巨人3.5大洋5.5中日12.5巨人10.5
6位ヤクルト5.5阪神6.0ヤクルト7.5ヤクルト11.0ヤクルト13.5ヤクルト18.0ヤクルト19.0


1979年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
優勝広島東洋カープ675013.573---
2位横浜大洋ホエールズ595417.5226.0
3位中日ドラゴンズ595714.5097.5
4位阪神タイガース61609.5048.0
5位読売ジャイアンツ586210.48310.5
6位ヤクルトスワローズ486913.41019.0

オールスターゲーム1979詳細は「1979年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照

監督広岡達朗
ファン投票若松勉
監督推薦梶間健一大矢明彦杉浦亨

できごと

この節の加筆が望まれています。

選手・スタッフ

 ヤクルトスワローズ 1979
監督

71 広岡達朗(8月16日まで)

62 佐藤孝夫(8月17日から代行)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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