1976年の映画
7月 - 記録映画『彫る・棟方志功の世界』が第26回ベルリン国際映画祭で記録映画部門グランプリ[8][4]。
8月2日 - 米国、フリッツ・ラング監督、死去[2][9][10][注 3]。
11月15日 - フランス、俳優ジャン・ギャバン、死去[2][11]。
日本「1976年の日本#できごと」も参照
1月
昭和50年度全国映画館数2443館(前年比25館減)、映画入場人員1億7400万人(前年比93.7%)[5][12]。興行収入1307億5000万円(前年比111.7%)[5][12]。邦洋の配給収入のシェアでは邦画44%:洋画56%となり、史上初めて洋画が上回る[5][12]。以後、「洋高邦低」の傾向続く[5]。
1月30日 - ブルーリボン賞復活(復活第1回、通算18回)、最優秀作品賞は小林正樹監督『化石』[5]。以後、ブルーリボン賞は毎年開催[5]。
3月
3月1日 - 東映、洋画興行部を新設、洋画部を洋画配給部と改称[5]。
3月13日 - 東京・渋谷東宝劇場は洋画ロードショー館に、渋谷宝塚劇場は東宝邦画封切館に変更[5]。
3月20日 - 東映まんがまつり、『長靴をはいた猫 80日間世界一周』(演出:設楽博)ほか封切、ヒット[7]。
4月
4月1日 - 映倫、一般映画制限付R(Rは制限を意味するRestrictedから)を設置、実施[5]。
4月13日 - 東宝東和、フランス資本で製作され[2]、わいせつ表現で議論を呼んだ大島渚監督『愛のコリーダ』日本配給発表[5]。プリント到着後、東京税関がストップを掛け、問題となる[5]。
5月
5月1日 - 映倫、一般映画制限付(R指定)の第1号に唐プロ=ATG提携『任侠外伝 玄海灘』[13]を指定[14]。
6月
6月14日 - 角川春樹事務所設立[5]。
6月30日 - ATGが外配協(外国映画輸入配給協会)を退会[5]。
7月
都内の一部ロードショー劇場で入場料金改訂、一般(大人)1000円から1300円へ[5]。
7月1日 - 東宝不動産、帝国劇場を吸収合併[5]。
7月8日 - 東宝、源田実参議院議員から『不毛地帯』(山本薩夫監督)のナレーションが事実に反していると抗議を受ける(『不毛地帯』問題)[5]。
7月25日 - MGM日本支社閉鎖問題解決[5]。
8月
日活、『嗚呼!!花の応援団』 / 『四畳半青春硝子張り』の一般映画2本立て公開、大ヒット[15]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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