1976年の日本ハムファイターズ
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1976年の日本ハムファイターズ
成績
パシフィック・リーグ5位
年間5位:52勝67敗11分 勝率.437
後期4位:26勝36敗3分 勝率.419
前期4位:26勝31敗8分 勝率.456
[1]
本拠地
都市東京都文京区
後楽園球場

球団組織
オーナー大社義規
経営母体日本ハム
監督大沢啓二
≪ 19751977 ≫

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1976年の日本ハムファイターズ(1976ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1976年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。

このシーズンの日本ハムファイターズは、大沢啓二監督の1年目のシーズンである。
概要

東映時代から数えて8年連続Bクラスからの脱却を図るべく、日本ハムの大社オーナーは1972年までロッテの監督だった大沢啓二を新監督に招聘。大沢新監督は、優勝を狙えるチームにするべく主力打者の張本勲巨人へ放出し、新たに高橋一三富田勝を獲得。また近鉄から永淵洋三服部敏和を、阪神から後藤和昭村上雅則をトレードで獲得するなど東映カラーを一掃した。それ以外では、新外国人のウォルター・ウィリアムスボビー・ミッチェルが打線の中心となるなど、スタメンのほとんどが前年同様移籍組で占められるようになった。トレードなどで戦力を一新したチームだったが、成績には結びつかず前期は4位、後期は5位でそれぞれ終了した。前年3位だった太平洋の不振もあり、辛うじて最下位を免れたが、借金は再び2ケタに膨らんだ。投手陣は東映時代からのエース・高橋直樹野村収、そして巨人から移籍の高橋一がローテを守ったものの防御率3.72で5位に終わり、打撃陣は両外国人に加えて前年首位打者を争った小田義人内田順三、富田の活躍が目立っただけで後の打者が不振にあえいだ。4月29日の近鉄戦でルーキーの行澤久隆が走者を追い越してプロ入り初本塁打をフイにするハプニングもあった。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1遊服部敏和
2左内田順三
3一小田義人
4中ウイリアムス
5指永淵洋三
6捕加藤俊夫
7右岡持和彦
8三後藤和昭
9二中原全敏
投手高橋直樹
1976年パシフィック・リーグ順位変動

前期順位4月終了時5月終了時前期成績
1位阪急--阪急--阪急--
2位ロッテ2.5ロッテ2.0南海9.5
3位南海南海4.0ロッテ10.0
4位日本ハム4.5近鉄8.0日本ハム13.0
5位太平洋4.5日本ハム8.0近鉄14.5
6位近鉄7.0太平洋11.0太平洋18.0

後期順位7月終了時8月終了時後期成績
1位南海--南海--阪急--
2位ロッテ1.0ロッテ1.5南海2.0
3位日本ハム1.5阪急2.5ロッテ3.5
4位近鉄4.0近鉄4.5近鉄7.0
5位太平洋4.0日本ハム6.0日本ハム11.5
6位阪急4.5太平洋6.5太平洋15.0

前期最終成績順位球団勝率
1位阪急ブレーブス42212.667優勝
2位南海ホークス35291.5477.5
3位ロッテオリオンズ29288.50910.0
4位日本ハムファイターズ26318.45613.0
5位近鉄バファローズ27353.43514.5
6位太平洋クラブライオンズ21368.36818.0

後期最終成績順位球団勝率
1位阪急ブレーブス37244.607優勝
2位南海ホークス36272.5712.0
3位ロッテオリオンズ34283.5483.5
4位近鉄バファローズ30314.4927.0
5位日本ハムファイターズ26363.41911.5
6位太平洋クラブライオンズ23402.36515.0


1976年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
1位阪急ブレーブス79456.637優勝


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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