1975年の映画
[Wikipedia|▼Menu]
7月 - 黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』が第9回モスクワ国際映画祭で金賞を受賞[6]

7月8日 - 第25回ベルリン国際映画祭熊井啓監督『サンダカン八番娼館 望郷』に出演の田中絹代銀熊賞 (女優賞)を受賞[7]

7月10日 - 『アンデルセン童話 にんぎょ姫』(演出:勝間田具治)、第9回モスクワ映画祭児童映画祭優秀童話賞受賞[8]

11月2日 - イタリア、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督撲殺される[4][9]

日本「1975年の日本#できごと」も参照

黒澤明監督『七人の侍』(1954年公開)、内田吐夢監督『飢餓海峡』(1965年公開)リバイバル公開[4]

1月

雑誌『映画評論』休刊[6]

昭和49年度全国映画館数2468館(前年比62館減)、入場者数1億8573万人(前年比100.2%)[10]。興行収入1171億700万円(前年比126.4%)と初の1000億円台を記録[10]

1月25日 - 東映洋画部、『ドラゴンへの道』(ブルース・リー主演・監督)を配給、ヒット[11]


2月

東宝、直営館に完全自動映写機シネメカニカ(英語版)を導入[12]

昭和49年度劇場用映画テレビ放映件数、邦画203本・220回、洋画875本・1077回[12]

2月1日 - 『エマニエル夫人』を公開した東京・みゆき座が1か月で興行収入1億5460万円を稼ぎ出し、新記録達成[13]。従来の記録は前年7月に『エクソシスト』(1974年7月13日公開)などを上映した東京・丸の内ピカデリーの1億4700万円[10]

2月19日 - 入場税大幅改正にともなう入場券問題で映連配給部会は入場券印刷を大蔵省印刷局の推薦により印刷局朝陽会への委嘱(いしょく)を決定[10]。国家による官給券の実質上廃止が決定[10]


3月

3月14日 - 映連統一入場券第1期分各劇場に納品完了[10]。金種は300円から50円刻みで無表示券含め18種類[10]。東宝=水色、松竹=草色、東映=黄色、日活=オレンジ色[10]

3月31日 - 日活の新社長に村上覚が就任[6][12]


4月

日活撮影所内に日活テレビ映画芸術学院開校[14][15][16]

4月1日 - 入場税が、入場料金1,500円以下は非課税、1,501円以上は税率10パーセントに変更される[6][17][12]。1,500円以下が非課税となったため、〔昭和50年度からは〕国税庁から全国映画館入場者数などの正確な統計データが発表されなくなった[18]。また、免税点以下の官給入場券を廃止[17][12]
次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:118 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef