1974年の映画
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1月

部落解放同盟今井正監督『橋のない川 第二部』の貸出しを妨害[8]。今井正監督を差別主義者とする糾弾が始まる[8]

1月6日 - 東宝、『日本沈没』の大ヒットにより、東京、関西、中部地区、元旦より5日間で、前年比動員3倍、興収4倍と高稼動、上映全劇場で従来の記録を大幅更新[9]。この映画に続けと、〔邦画界では〕SF映画大作が作られるがヒット映画は生れなかった[8]

1月7日 - 石油、電力節減で民放テレビの深夜放送自粛開始、16日からはNHKテレビ総合教育が23時での放送打切開始[9][10]

1月15日 - 『仁義なき戦い 頂上作戦』(深作欣二監督) / 『女番長 タイマン勝負』(関本郁夫監督)封切、ヒット[11]


2月

エキプ・ド・シネマ発足、岩波ホールで『大樹のうた』(インド、1958年)を上映[8]川喜多かしこ高野悦子が始めた「エキプ・ド・シネマ」とは、大手配給会社では公開されずに埋もれている世界中の優れた映画を上映する運動[9]

松竹、14年ぶりに復配[8]

2月2日

東宝、東京・有楽座、大阪・北野劇場で1月26日から先行ロードショーの『華麗なる一族』(山本薩夫監督)が連日満員[10][9]

東映、『激突! 殺人拳』(小沢茂弘監督) / 『忘八武士道 さ無頼』(原田隆司監督)[12]封切、空手ブームに乗って好成績[11]


2月28日 - MGM日本支社は、本社が映画事業から撤退したため閉鎖[8][10]、全従業員解雇[8]。配給はCICに委託[8]


3月

日活ロマンポルノ路線後初の一般映画『赤ちょうちん』(藤田敏八監督)公開[13]

3月25日 - ジョン・ウェイン来日[10]


4月

4月1日 - 日活が売却した日活撮影所の約半分を電気通信共済会〔現・NTTグループの共済会〕側より買い戻す調停裁判で、日活側が和解案を提示[9]。8月、共済会側から全面返還の意向表示[14]1977年10月、日活が32億7200万円を現金一括で支払うことで正式和解[15]

4月11日 - ゼネストに伴う交通機関のストライキ実施、劇場の営業に支障出る[9]

4月20日 - 新宿・浅草両東映名画座、日活封切り館となり、名称も新宿・浅草日活劇場に変更[11]

4月24日 - 徳間書店により大映映画設立、徳間康快が社長に就任[9]

4月27日 - 『山口組外伝 九州進攻作戦』(山下耕作監督) / 『殺人拳2』(小沢茂弘監督)封切、ロングランヒット[11]


5月

5月8日 - 外配協(外国映画輸入配給協会)、映団連から要請のあった外画(洋画)のテレビ放映を邦画と同じ公開後3年とする自主規制を米メジャーに伝達[9]

5月13日 - 東宝スタジオ第7ステージの特撮シーン撮影中に出火し、ステージは全焼したが、人的被害はなし[9]。第7ステージは2003年まで欠番[9]


6月

6月1日 - 興行場ほかにスプリンクラー屋外消火栓設備の設置をうたった改正消防法公布[9]

6月9日 - 東映東京撮影所東映京都撮影所、「第1回日用不用品交換会」・「第1回生活用品大バーゲンセール」をそれぞれ開催、盛況[11]

6月15日 - 映画館入場者数減少の中、高額入場料金1000円興行第1弾『スティング』(ジョージ・ロイ・ヒル監督)公開、ヒット[9]

6月29日 - 『仁義なき戦い 完結篇』(深作欣二監督) / 『極悪拳法』(小沢茂弘監督)[16]封切、ヒット[11]


7月

7月3日 - 国税庁、昭和48年度入場税白書を発表、入場者数1億8500万人・興行収入約926億8000万円・平均入場料金500円[3]

7月13日 - 『エクソシスト』(ウィリアム・フリードキン監督)公開[17]配給収入30億円に迫る大ヒット[1]

7月21日 - 映画・テレビ事業者懇談会開催[9]。映画とテレビとの共存、洋画テレビ放映の年度的時期など協議[9]


8月

8月10日 - 『三代目襲名』(小沢茂弘監督) / 『直撃! 地獄拳』(石井輝男監督)封切、ヒット[11]
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