1973年度新人選手選択会議
全体1位の山下
ドラフト概要
開催日1973年11月20日
開催地東京都千代田区
会場日生会館
司会伊東一雄
制度変則ウェーバー(指名順予備抽選)
指名数71名
入団拒否32名
全体指名順
全体1位(大洋)山下大輔(内野手・慶應義塾大学)
全体2位(南海)藤田学(投手・南宇和高)
全体3位(近鉄)栗橋茂(外野手・駒澤大学)
全体4位(日本ハム)鵜飼克雄(投手・四国電力)
NPBドラフト会議 ≪ 1972 1974 ≫
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1973年度新人選手選択会議(1973ねんどしんじんせんしゅせんたくかいぎ)は1973年に行われた第9回のプロ野球ドラフト会議である。 順位選手名ポジション所属結果 順位選手名ポジション所属結果
概要
1973年11月20日に東京・日比谷日生会館において開催された。
予備抽選で選択指名順を決定し、1位・3位・5位などの奇数順位の指名順は予備抽選の1番→12番、2位・4位・6位などの偶数順位の指名順は奇数順位とは逆に予備抽選の12番→1番に遡る選択指名順を取った。
予備抽選の結果は大洋 - 南海 - 近鉄 - 日本ハム - 中日 - 阪急 - 広島 - 阪神 - 太平洋 - 巨人 - ヤクルト - ロッテ。
指名選手数は無制限。
交渉権の有効期間が「翌年の選択会議開催日の前日まで」から「翌年の選択会議開催日の前々日まで」に改められた。これは前日まで交渉を続けた場合には、その交渉地が遠隔地だった場合に、気象の急変などによって球団関係者がドラフト会議に出席できず、ドラフト会議に支障をきたす恐れがあるため、ドラフト会議の準備期間(閉鎖日)として設けたものだった。この規定が1978年に起こる江川事件の伏線となる。
「日本社会人野球協会(現・日本野球連盟)所属選手は新登録から2年(2シーズン)指名禁止」、「交渉権は『東京大会開催の日から社会人野球日本選手権大会終了の日までの期間』停止する」などの規定が加えられた。これによって社会人1年目の選手はドラフト対象に含まれなくなった(この期間が経過する前に所属チームが消滅した場合は除く)。また、前年の交渉権が生きている社会人選手であっても、シーズン中のプロ入りは不可能(社会人野球に進んだ選手に対する交渉権は東京大会開催の日で喪失する)となった。
会議前日に日拓ホームフライヤーズが日拓ホームから日本ハムに売却される。日拓球団は前年ドラフト会議終了後に東映から買収されたものであるため、一度もドラフト会議に参加すること無く消滅したことになる。また、本会議当日の時点では翌季からの新愛称「ファイターズ」は未だ名づけられていない。
かねてから大学進学を表明していた作新学院高の江川卓を阪急が1位で強行指名するも入団を拒否した。
巨人のドラフト指名に対し上位3人が揃って入団を拒否した。特に巨人の1位指名を拒否したのは後にも先にもこの年の小林秀一だけである。
入団した選手の数はドラフト会議史上最小となる39人にとどまった。
指名リスト
セントラル・リーグ
読売ジャイアンツ
1位小林秀一投手愛知学院大学拒否・熊谷組入社
2位黒坂幸夫投手糸魚川商工高拒否・鷺宮製作所入社
3位中村裕二捕手住友金属拒否
4位迫丸金次郎外野手愛知学院大学入団
5位尾西和夫投手新日本製鐵堺拒否
6位新谷祐二投手福井高卒入団
7位金島正彦内野手武相高卒入団
阪神タイガース
1位佐野仙好内野手中央大学入団
2位植上健治投手高松商業高入団
3位小竹重行投手京都商業高拒否・同志社大学進学