1972年のル・マン24時間レース
前年:1971翌年:1973
1972年のコース
1972年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1972 )は、40回目のル・マン24時間レース及び世界メーカー選手権第9戦として、1972年6月10日から6月11日にかけてフランス、ル・マンのサルト・サーキットで行われた。 1972年から車両規定が変更され、3リットル・スポーツプロトタイプのみが出走可能となり前年までの主役だったポルシェ・917やフェラーリ・512Sなどの5リットル・スポーツカーはル・マン24時間レースから締め出されることになった。 この年の選手権において開幕から8連勝して、前戦のニュルブルクリンク1000kmでチャンピオンを獲得したフェラーリは、3月のルマン・テストデイに参加し、フェラーリ・312PBのテストを重ねるなど、出場は確実視されていたが、6月1日になって急遽不参加を表明した。理由として「312PBは1000kmレース参加を前提に開発を行ってきたため、24時間レースには出走できない」と発表した[1]。実際、テスト中の312PBにトラブルが発生したといわれている[2]。この決定はチーム監督のピーター・シェッティ
目次
1 概要
2 予選
3 決勝
4 結果
4.1 周回数不足
4.2 リタイヤ
5 記録
6 脚注
7 参考文献
概要
フェラーリの不参加で優勝候補の本命と目されたマトラは、ル・マン24時間レース制覇という目標のため、ニューマシンMS670を3台投入。予備としてMS660C
も持ち込んで万全を期した。その対抗馬として、1970年のル・マン24時間レース以来の出場となるアルファロメオが33TT3を持ち込んだ。前年優勝したポルシェは前述の車両規定変更によりワークスチームが撤退、908、910が複数のチームから出走。また、フォード・カプリRSとBMW2800CSが新設されたツーリングカー・クラスからエントリーした。 マトラがポールポジションのフランソワ・セベール/ハウデン・ガンレイ組を筆頭に予選3位までを独占した。 この年の名誉スターターであるフランス大統領ジョルジュ・ポンピドゥーの合図によりレースがスタート[3]。マトラの3台がスタート直後から飛び出したが、ジャン=ピエール・ベルトワーズのマシンが2周目にコネクティングロッドの破損のため出火しアルナージュ付近でリタイアとなった[4][5]。1時間終了時点の順位は1位がローラ・T280
予選
決勝 優勝したマトラ・MS670、15号車
マトラはセベール組が首位を独走していたが、10時過ぎに降り出した雨による電気系統のトラブルによるピットインの間にアンリ・ペスカロロ組が首位に立ち、こののちセベールから交代したガンレイがスピンして再びピットに入り遅れた[6]。 ペスカロロ組が首位を守り切りセベール組に10周の差をつけてゴール。3位を走っていたMS660Cのリタイヤにより表彰台の独占を逃した[6]ものの、1 - 2フィニッシュでマトラがル・マン初優勝を記録した。
結果