1971年東京都知事選挙
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1971年東京都知事選挙

1967年 ←
1971年4月11日 (1971-04-11)
→ 1975年


投票率72.36%
 
候補者みのべ亮吉はたの章赤尾敏
政党無所属無所属大日本愛国党
得票数3,615,2991,935,69410,458
得票率64.77%34.68%0.19%

選挙前知事

美濃部亮吉
無所属選出知事

美濃部亮吉
無所属

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1971年東京都知事選挙(1971ねんとうきょうとちじせんきょ)は、1971年4月11日に執行された東京都知事選挙第7回統一地方選挙の一環として実施された。
概説

現職の美濃部亮吉の任期満了に伴う都知事選。2期目を目指す現職の美濃部陣営は、ベトナム戦争等の国政問題を一首長選に持ち込み、「ストップ・ザ・サトウ」を連呼して首相佐藤栄作批判を展開した。

その佐藤に口説かれた先々代知事安井誠一郎に続く警察官僚出身者の秦野章は、環七高速道路、一般道、地下鉄の3層構造にするなどといった壮大な開発計画を盛り込んだ『4兆円ビジョン』なる開発構想を掲げた。

都政与党を目論む公明党民社党は、自民党と距離を置いて美濃部の社共共闘に接近し、対立候補を擁立せずに美濃部支援を打ち出し、選挙後に発足する『四党体制』(社共公民)がここで事実上成立した。

美濃は『美濃 部亮(みの ぶすけ)』の通名使用届を東京都選挙管理委員会に却下され、『みの義和』名義での立候補。選挙ポスターを美濃部の物に酷似させる等、有権者の混乱を図り美濃部に対する減票工作を敢行した。前回の都知事選で『水戸(みのべ)』の通名使用届を却下された野々上は、今選では『第二みのべ』の通名使用届を提出し、当然ながら再却下されている。4度目の都知事選出馬の赤尾は立会演説会で「美濃部なんて死んじゃえばいいんだ」「浅沼の二の舞になるぞ」等と発言し、脅迫容疑で警視庁に連行された。久保は高知県街宣右翼で前回の都知事選に続く2度目の都知事選。1967年から1987年まで、都知事選に通算5回立候補した深作清次郎は、この年だけは不出馬。小田は過去3回都知事選に出馬した小田俊与の実兄で、社会大衆党の元衆議院議員でもある。真壁のペンネームは篠田五郎で、楢橋渡の秘書を自称し親米建国党、三世新報社などで活動。土木建設請負業を経営する鳥羽は、第1回参議院議員通常選挙東京都選挙区などの出馬歴を持つ。世界連邦創始者を自称し、世界連邦推進を掲げる南など、合わせて13人が立候補する活況ぶりであった。
立候補者

13名、五十音順。

立候補者名年齢新旧党派肩書き
赤尾敏
(あかお びん)72新大日本愛国党大日本愛国党総裁、元衆議院議員
大木明雄
(おおき あきお)50新国民社会主義大日本勤労者党政治運動家、国民社会主義大日本勤労者党代表
小田天界
(おだ てんかい)67新天命会元社会大衆党衆議院議員
久保義一
(くぼ よしかず)53新無所属街宣右翼
清水亘
(しみず わたる)61新議会主義政治擁護国民同盟政治活動家、議会主義政治擁護国民同盟代表
鈴木東四郎
(すずき とうしろう)73新無所属
反ソ決死隊 推薦)
鳥羽照司
(とば しょうじ)69新無所属土木建設請負業
野々上武敏
(ののがみ たけとし)61新都政を正す会元報知新聞記者
はたの章
(はたの しょう)59新無所属
自民党 推薦)警察官僚
真壁宗雄
(まかべ むねお)62新無所属
南俊夫
(みなみ としお)59新世界連邦政府推進委員会政治運動家、世界連邦政府推進委員会書記長
みのべ亮吉
(みのべ りょうきち)67現無所属
社会党共産党 推薦)東京都知事
みの義和
(みの よしかず)31新政治経済日の丸評論社

選挙結果各候補の得票率(得票数の多かった順)

投票率は72.36%で、前回の選挙の67.49%を上回り、東京都知事選挙史上最高投票率を記録した(前回比 +4.87%)[1] 。この投票率は2016年の都知事選挙を終えた今でもなお破られていない。

候補者別の得票数の順位、得票数[2]、得票率、惜敗率、供託金没収概況は以下のようになった。供託金欄のうち「没収」とある候補者は、有効投票総数の10%を下回ったため全額没収された。得票率と惜敗率は未発表のため暫定計算とした(小数3位以下四捨五入)。

 順位候補者名党派新旧得票数得票率惜敗率供託金
当選1■みのべ亮吉無所属現3,615,29964.77%----
 2■はたの章無所属新1,935,69434.68%53.54%
 3■赤尾敏大日本愛国党新10,4580.19%0.29%没収
 4■久保義一無所属新3,7830.07%0.10%没収
 5■みの義和政治経済日の丸評論社新3,6360.07%0.10%没収
 6■清水亘議会主義政治擁護国民同盟新2,1600.04%0.06%没収
 7■大木明雄国民社会主義大日本勤労者党新2,1540.04%0.06%没収
 8■鈴木東四郎無所属新2,1000.04%0.06%没収
 9■小田天界天命会新1,7180.03%0.05%没収
 10■南俊夫世界連邦政府推進委員会新1,3780.02%0.04%没収
 11■真壁宗雄無所属新1,2560.02%0.03%没収
 12■野々上武敏都政を正す会新9560.02%0.03%没収
 13■鳥羽照司無所属新7300.01%0.02%没収

2期目を目指す美濃部は、「ストップ・ザ・サトウ」を連呼して当時の首相である佐藤栄作批判を展開。この当時の圧倒的な人気を生かして選挙戦を闘い、社会党・共産党の後押しを受け前回の都知事選から140万票以上を上乗せして圧勝。美濃部が獲得した約361万票は、日本の選挙における個人としての史上最高の得票数であった。この記録は、2012年東京都知事選挙において猪瀬直樹が約433万票を獲得するまで破られることがなかった。

自民党が推薦する警察官僚出身の秦野は、公約に『4兆円ビジョン』なる開発構想を掲げ都政の保守回帰を目指した。しかし、自身の舌禍が災いして公約は浸透せず、美濃部に大差で敗れた。

この他の候補では、大日本愛国党の赤尾が最上位に進出した。
脚注[脚注の使い方]^ 東京都選挙管理委員会 。選挙結果&データ 。各種選挙における投票率 - ウェイバックマシン(2003年8月11日アーカイブ分)
^ 東京都知事選挙 開票結果一覧(昭和22年から平成19年まで) |武蔵野市(2016年5月19日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project

外部リンク

東京都選挙管理委員会


山積する都市の課題 革新系知事に託す - NHK放送史

日曜特集 - NHK放送史(1971年4月11日放送「東京都知事選」)


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