1971年の日本シリーズ
ゲームデータ
日本一
読売ジャイアンツ
7年連続15回目
4勝1敗
試合日程1971年10月12日-10月17日
最高殊勲選手末次民夫
敢闘賞選手山田久志
チームデータ
読売ジャイアンツ(セ)
監督川上哲治
シーズン成績70勝52敗8分(シーズン1位)
阪急ブレーブス(パ)
監督西本幸雄
シーズン成績80勝39敗11分(シーズン1位)
日本シリーズ ≪ 1970 1972 ≫
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1971年の日本シリーズ(1971ねんのにっぽんシリーズ、1971ねんのにほんシリーズ)は、1971年10月12日から10月17日まで行われたセ・リーグ優勝チームの読売ジャイアンツとパ・リーグ優勝チームの阪急ブレーブスによる第22回プロ野球日本選手権シリーズである。 川上哲治監督率いる読売ジャイアンツと西本幸雄監督率いる阪急ブレーブスの対決となった1971年の日本シリーズ。 1勝1敗で迎えた第3戦、9回二死まで巨人打線をほぼ完璧に抑える好投を続けていた阪急先発投手の山田久志から王貞治が逆転サヨナラ本塁打を放って勝利した巨人が、結局、シリーズを4勝1敗で巨人が制した。王のサヨナラ本塁打はシリーズの流れを変えたと位置づけられる[1]。 1971年 日本シリーズ 10月12日 西宮 入場者23503人 巨人1001000002 (巨)○堀内(1勝)?森 [審判]パ道仏(球)セ竹元 パ田川 セ岡田功(塁)パ久喜 セ松橋(外) 巨人が初回、長嶋茂雄のタイムリーヒットで先制し、3回阪急は長池徳士のタイムリーで同点とした。巨人は4回、長嶋が二塁打でチャンスを作り、末次民夫のタイムリー安打で勝ち越し点を挙げた。阪急は堀内恒夫から9安打7四球を奪いながら残塁や走塁死などの拙攻を重ね、1点どまり。特に1番打者の福本豊が3安打1四球で計4度出塁しながら、いずれも得点に繋げられなかった。 ⇒公式記録関係(日本野球機構ページ) 10月13日 西宮 入場者19914人 巨人0002002116 (巨)関本、高橋一、渡辺秀、●菅原(1敗)、山内新?森 [審判]セ富澤(球)パ久喜 セ竹元 パ田川(塁)セ岡田功 パ沖(外) ⇒公式記録関係(日本野球機構ページ) 10月15日 後楽園 入場者33867人 阪急0100000001 (急)●山田(1敗)?岡村 [審判]パ沖(球)セ富澤 パ久喜 セ松橋(塁)パ道仏 セ竹元(外) 巨人関本、阪急山田と両チームとも第2戦に続いての中1日の先発登板。ともに好投したが、特に山田が2回に大熊忠義のタイムリー二塁打で挙げた1点を守り、巨人を8回まで無失点で抑えた。2回裏、末次に三塁打を喫し一死三塁になった場面があったものの、3回から8回二死まで1人の走者も出さない完璧な投球で、8回も土井正三の代打・上田武司に安打を打たれるが、次打者・吉田孝司を打ち取っていた。 巨人は、9回、一死から柴田勲が四球で出塁したが、柳田が倒れて二死。さらに続く長嶋の打球が、遊撃手阪本敏三のグラブのわずかに先を抜けて中前安打となった二死一、三塁から、王が、カウント1-1からの3球目を、右翼スタンドに逆転サヨナラ3点本塁打として、巨人が逆転サヨナラ勝ち(巨人の日本シリーズでのサヨナラ勝ちは前年の対ロッテ第1戦での黒江の本塁打以来2年連続4回目。
概要
試合結果
10月12日(火)第1戦読売ジャイアンツ2 - 1阪急ブレーブス阪急西宮球場
10月13日(水)第2戦読売ジャイアンツ6 - 8阪急ブレーブス
10月14日(木)移動日
10月15日(金)第3戦阪急ブレーブス1 - 3読売ジャイアンツ後楽園球場
10月16日(土)第4戦阪急ブレーブス4 - 7読売ジャイアンツ
10月17日(日)第5戦阪急ブレーブス1 - 6読売ジャイアンツ
優勝:読売ジャイアンツ(7年連続15回目)
第1戦
阪急0010000001
(急)●足立(1敗)、米田、宮本幸?岡村、岡田
第2戦
阪急00100313X8
(急)山田、○米田(1勝)?岡村
本塁打
(巨)王1号2ラン(4回山田)、柳田1号2ラン(7回山田)、長嶋1号ソロ(8回米田)、黒江1号ソロ(9回米田)
第3戦
巨人000000003x3
(巨)○関本(1勝)?森、吉田孝
本塁打
(巨)王2号3ラン(9回山田)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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