1970年の近鉄バファローズ
成績
パシフィック・リーグ3位
65勝59敗6分 勝率.524[1]
本拠地
都市大阪府大阪市
球場日本生命球場
球団組織
オーナー佐伯勇
経営母体近畿日本鉄道
監督三原脩
≪ 19691971 ≫
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1970年の近鉄バファローズでは、1970年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
この年の近鉄バファローズは、三原脩監督の3年目のシーズンである。 球団初のリーグ優勝こそ逃したものの阪急に次ぐ2位に躍進したチームはドラフトで三沢高校の太田幸司をドラフト1位で獲得し、入団挨拶には佐伯勇オーナーが自ら訪れた。太田は入団後に江崎グリコのCMに起用されてチームのイメージアップに貢献したが、プロの壁は厚く1勝にとどまった。太田の入団や日本万国博覧会が大阪で開催されたこともあり、三原監督は「万博イヤーは優勝で飾る」と宣言。チームは5月まで首位と2.5ゲーム差の3位につけていたが、6月以降は成績が下降し阪急とのAクラス争いが続いた。その一方で前年オフに西鉄から始まった黒い霧事件は近鉄にも飛び火し、4番の土井正博が賭博で書類送検され球団職員が八百長にかかわり永久追放されるなど不祥事が続いた。チームは最終的に阪急の反撃を振り切ってAクラスは死守したが順位を1つ落とし三原監督はこの年限りで辞任した。投手陣は太田の入団に刺激された鈴木啓示が21勝をあげて最多奪三振、佐々木宏一郎が防御率1位を南海の佐藤道郎に譲ったものの17勝で勝率1位、清俊彦が14勝と安定した成績を残したほか、社会人から入団の神部年男がローテ入りするなど層が厚く2年連続の防御率2点台を記録した。打撃陣は阪神から移籍の辻佳紀がチームトップの19本塁打を放ったが打率が1割台と低く、それ以外では永淵洋三と小川亨の活躍が目だちチーム本塁打は優勝のロッテと59本差の最下位だったが、一方で安井智規をはじめ6人が2桁盗塁をマークするなどリーグ2位の152盗塁を記録した。 開幕オーダー1中山田勝国 1970年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績 1970年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝敗分勝率差 [1] コーチ三原脩 近鉄バファローズ 1970
概要
チーム成績
レギュラーシーズン
2遊安井智規
3右永淵洋三
4左土井正博
5一小川亨
6二飯田幸夫
7三相川進
8捕辻佳紀
9投鈴木啓示
1位東映--東映--ロッテ--ロッテ--ロッテ--ロッテ--ロッテ--
2位近鉄1.5ロッテ0.5東映3.0南海9.5南海9.5南海12.0南海10.5
3位ロッテ2.5近鉄2.5南海5.5近鉄13.0阪急11.5阪急16.5近鉄13.5
4位南海3.0南海3.0近鉄8.5阪急13.0近鉄11.5近鉄阪急16.5
5位阪急3.5阪急4.5阪急10.5東映13.0東映15.0東映22.0東映24.5
6位西鉄4.5西鉄10.5西鉄17.5西鉄23.5西鉄24.5西鉄32.0西鉄34.0
1位ロッテオリオンズ80473.630優勝
2位南海ホークス69574.54810.5
3位近鉄バファローズ
4位阪急ブレーブス64642.50016.5
5位東映フライヤーズ54706.43524.5
6位西鉄ライオンズ43789.35534.0
オールスターゲーム1970詳細は「1970年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票太田幸司
監督推薦鈴木啓示清俊彦辻佳紀
補充選手永淵洋三
できごと
10月6日 - 佐々木宏一郎が対南海23回戦(大阪)で完全試合を達成[2]。
選手・スタッフ
監督
70 三原脩
コーチ
40 岩本堯
50 中原宏
51 仰木彬
52 伊香輝男
60 本堂安次
65 島田光二
66 江田孝史
投手
1 鈴木啓示
14 清俊彦
15 岡田光雄
16 佐々木宏一郎
17 板東里視
18 太田幸司
19 加藤英夫
20 小野坂清
21 五十嵐英夫
22 田端謙二郎
23 芝池博明
26 橋本孝志
27 神部年男
30 サントス
31 水谷宏
36 井上重信
38 斉藤英雄
41 半田実
47 川内八州男
48 矢野昭良