1970年の西鉄ライオンズ
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1970年の西鉄ライオンズ
成績
パシフィック・リーグ6位
43勝78敗9分 勝率.355
[1]
本拠地
都市福岡県福岡市
球場平和台野球場

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球団組織
オーナー楠根宗生( - 5月13日)
木本元敬(5月14日 - )
経営母体西日本鉄道
監督稲尾和久
≪ 19691971 ≫

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1970年の西鉄ライオンズでは、1970年の西鉄ライオンズの動向をまとめる。

この年の西鉄ライオンズは、稲尾和久監督の1年目のシーズンである。
概要

前年のシーズン終盤、黒い霧事件が発覚し、この年のシーズン中もその渦中にあった西鉄は5月25日に主力4選手を永久追放処分(うち1選手は前年オフに解雇済)、2選手を1年間の野球活動禁止で失い、チーム成績を浮上させることなく最下位でシーズンを終えた。主力投手3人が永久追放となったチームの中で、2年目の東尾修、3年目の河原明、そしてこの年入団の三輪悟柳田豊などの活躍が明るい話題だった。しかし、打撃陣は主力選手の船田和英基満男村上公康が黒い霧事件に連座したため、打線の核を失ったチームは投打ともに崩壊した。後に阪神大洋でも活躍し、引退後は野球解説者・タレントとして活躍したスーパーカートリオの一人・加藤博一がドラフト外で入団したが、この年一軍出場はなかった(プロ入り初の一軍入りは3年目の1972年)。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1三船田和英
2二基満男
3中ポインター
4右東田正義
5一広野功
6左ボレス
7捕村上公康
8遊甲斐和雄
9投池永正明

1970年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位東映--東映--ロッテ--ロッテ--ロッテ--ロッテ--ロッテ--
2位近鉄1.5ロッテ0.5東映3.0南海9.5南海9.5南海12.0南海10.5
3位ロッテ2.5近鉄2.5南海5.5近鉄13.0阪急11.5阪急16.5近鉄13.5
4位南海3.0南海3.0近鉄8.5阪急13.0近鉄11.5近鉄阪急16.5
5位阪急3.5阪急4.5阪急10.5東映13.0東映15.0東映22.0東映24.5
6位西鉄4.5西鉄10.5西鉄17.5西鉄23.5西鉄24.5西鉄32.0西鉄34.0


1970年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
優勝ロッテオリオンズ80473.630---
2位南海ホークス69574.54810.5
3位近鉄バファローズ65596.52413.5
4位阪急ブレーブス64642.50016.5
5位東映フライヤーズ54706.43524.5
6位西鉄ライオンズ43789.35534.0

[1]
オールスターゲーム1970詳細は「1970年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照

ファン投票監督推薦
選出なし三輪悟

できごと

4月8日 - 前年に八百長が発覚して「永久追放」処分を受けた永易将之フジテレビの深夜番組『テレビナイトショー』で「他にも八百長に関わった者がいる」と告白。翌4月9日、その関わった選手は、池永正明投手・与田順欣投手・益田昭雄投手・船田和英内野手・村上公康捕手・基満男内野手である事が明かされる。

5月13日 - 「黒い霧事件」問題で、西日本鉄道社長にして球団オーナー・楠根宗生が辞任。木本元敬が新社長&オーナーに就任。

5月26日 - 八百長に関わった6選手への裁決が下され、池永・与田・益田らは全て「永久追放」処分。金は一旦受け取るが返済するも、球団への報告を怠った船田と村上は「11月まで出場停止」処分、金は一切受け取らなかった基は「厳重警告」処分。

10月7日 - ロッテオリオンズ戦(東京スタジアム)に敗れ、球団初の最下位が決定。

選手・スタッフ

 西鉄ライオンズ 1970
監督

24 稲尾和久

二軍監督


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