1970年のメジャーリーグベースボール
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}1970年 > 1970年のスポーツ > 1970年のメジャーリーグベースボール

以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1970年のできごとを記す。

1970年4月6日に開幕し10月15日に全日程を終え、アメリカンリーグボルチモア・オリオールズ(東地区優勝)が2年連続4度目のリーグ優勝で、ナショナルリーグシンシナティ・レッズ(西地区優勝)が9年ぶり5度目のリーグ優勝であった。

ワールドシリーズはボルチモア・オリオールズがシンシナティ・レッズを4勝1敗で破り、4年ぶり2度目のシリーズ制覇であった。

シーズン直前に前年にアメリカンリーグに加盟したばかりのシアトル・パイロッツがミルウォーキーに本拠地を移転してミルウォーキー・ブルワーズ となった。

1969年のメジャーリーグベースボール - 1970年のメジャーリーグベースボール - 1971年のメジャーリーグベースボール
できごと

アメリカンリーグ

東地区は、オリオールズが独走で108勝して地区優勝した。
マイク・クェイヤー (24勝)、 デーブ・マクナリー (24勝)、ジム・パーマー (20勝)の20勝トリオ(翌年にはカルテットになる)がいて投手陣が充実して完投60を記録し、守備では二塁手・デーブ・ジョンソン、三塁手・ブルックス・ロビンソン、遊撃手・マーク・ベランジャー 、外野手・ポール・ブレアーと4人のゴールドグラブ賞受賞者が揃った鉄壁の守備陣は健在で、これにフランク・ロビンソン(打率.306・本塁打25本・打点78)、ブーグ・パウエル(打率.297・本塁打35本・打点114)が打線の要であった。西地区はツインズが、前年の首位打者ロッド・カルーがヒザを負傷して後半戦を欠場したが、ハーモン・キルブルー(本塁打41本・打点113)、トニー・オリバ(打率.325・打点107)が健在で、ジム・ペリー(24勝)、新人バート・ブライレヴン(10勝)、ロン・ペラノスキー(34セーブ)が活躍して地区優勝した。前年と同じカードとなったリーグチャンピオンシリーズは、この年も同じでオリオールズの完勝で、ボルチモアに移転して1966年から3度目のワールドシリーズ進出であった。

個人タイトルは、エンゼルスのアレックス・ジョンソン(打率.329)が初の首位打者、セネタースのフランク・ハワード (本塁打44本・打点126)が2度目の本塁打王と初の打点王であった。オリオールズのマイク・クェイヤーデーブ・マクナリー、ツインズのジム・ペリーが揃って24勝で最多勝、インディアンスのサム・マクダウェル (奪三振304)が5度目の最多奪三振、アスレチックスのディエゴ・セギー(防御率2.56)が最優秀防御率を獲得した。リーグMVPにはオリオールズのブーグ・パウエルが選ばれた。

ナショナルリーグ

東地区は、前年リーグ優勝のメッツが、パイレーツとカブスとの首位争いから9月14日時点ではパイレーツと同率首位であったが、そこから崩れ結局3位に終わった。カブスも自滅してパイレーツが地区優勝した。この年7月16日に新球場スリー・リバース・スタジアム が開場し人工芝のグラウンドでパイレーツはこれから10年間に6回ポストシーズンを戦うことになる。カージナルスはオーナーのオーガスト・ブッシュが主力選手を放出して、しかもフラッドのトレード拒否にあい、せっかくフィリーズから取ったディック・アレン(打率.279・本塁打34本・打点101)はこの年1年限りでオーナーはドジャースに放出するなどチームの弱体化が進んだ。一方西地区はレッズが、この年から監督に就任したスパーキー・アンダーソンの下で、デビュー4年目のジョニー・ベンチ(打率.293・本塁打45本・打点148)、トニー・ペレス(打率.317・本塁打40本・打点129)、リー・メイ(本塁打34本)、ボビー・トーラン(打率.316・盗塁57)、そしてピート・ローズ(打率.316・得点120・安打205本)がいる打線は厚味を増し、平均25歳の若い投手陣にはジム・メリット(20勝)、ゲイリー・ノーラン(18勝)、ウェイン・グレンジャー(35セーブ)がいて、やがて1970年代半ばにレッズ黄金時代が訪れる。レッズもこの年6月30日にリバーフロント・スタジアム が開場し全面人工芝ですぐに7月にオールスターゲームを開催した。リーグチャンピオンシリーズは地力で勝るレッズが3勝0敗でパイレーツを破り、1961年以来9年ぶりにワールドシリーズに進出した。

個人タイトルは、首位打者はブレーブスのリコ・カーティー(打率.366)、優勝したレッズのジョニー・ベンチが本塁打王と打点王そしてリーグMVP、同じレッズのボビー・トーランが盗塁王となり前年まで4年連続盗塁王だったカージナルスのルー・ブロック(盗塁51)はタイトルを逃したが翌年からまた4年連続で盗塁王となる。前年に2年連続首位打者だったレッズのピート・ローズは打率は下がったが3度目の最多安打を記録し、またこの後1970年代のシーズンを全て3割を打っている。最多勝はカージナルスのボブ・ギブソン(23勝)とジャイアンツのゲイロード・ペリー (23勝)でどちらも初の受賞でギブソンはこれが最後のタイトルとなった。メッツのトム・シーバー(防御率2.82・奪三振283)が最優秀防御率と最多奪三振を取り、これが最初のタイトルであった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:76 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef