1968年メキシコシティーオリンピック
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メキシコシティには海がないため、ヨット競技は太平洋岸のリゾート都市、アカプルコで開催された。後にIOC会長となるベルギージャック・ロゲが、ヨットのフィン級に初出場した。

ボクシングにおいて、森岡栄治が日本人史上3人目のメダル(銅メダル)を獲得した。
政治問題

開会を間近に控えた10月2日にメキシコシティーでは大規模な学生デモが実施されたが、メキシコ政府は軍や治安警察を導入して多数の死傷者を出しながらこれを鎮圧し、オリンピックは予定通り開催された(トラテロルコ事件)。

陸上競技男子200mの表彰式上、アメリカの黒人選手トミー・スミス(金)とジョン・カーロス(銅)がブラックパワーの象徴である黒手袋を掲げた(ブラックパワー・サリュート[注釈 1]IOCは両者に対し、永久追放処分を下した。
ドーピング検査

この大会よりドーピング検査が実施された。違反者第1号は、近代五種に出場したスウェーデンのハンス=グンナー・リリエンヴァルであった。
参加問題

開催に先立ち、1968年2月2日にIOC総会において当時アパルトヘイト政策を行なっていた南アフリカの参加を認める決議が行われた。これにアフリカスポーツ最高会議が反発してボイコットを決定。アフリカ諸国26カ国に加え、ソ連共産圏諸国、中東諸国も同調[1]、合計で55カ国がボイコットを表明した。これを受けて同年4月21日に決議を変更して南アフリカの参加を認めないこととしボイコットは回避された。

東ドイツ西ドイツが初めて統一チームを組まずに参加した。ただし、旗はそれぞれの国旗ではなく東西ドイツ統一チーム時代のものを使用した。同じく分断国家である北朝鮮は、名称問題が解決せずに不参加となった。
主な競技会場

エスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオ

アグスティン・メルガル・オリンピック・ベロドローム

パラシオ・デ・ロス・デポルテス

アレナ・メヒコ

エスタディオ・アステカ

カンポ・マルテ

エスタディオ・クアウテモク

エスタディオ・ノウ・カンプ

フランシスコ・マルケス・オリンピックプール

アウディトリオ・ナシオナル

実施競技

陸上競技

競泳

飛込

水球

サッカー

ボート

ホッケー

ボクシング

バレーボール

体操

バスケットボール


レスリング

ヨット

ウエイトリフティング

自転車競技

馬術

フェンシング

射撃

近代五種

カヌー

テニス

バスクペロタ

各国・地域のメダル獲得数詳細は「1968年メキシコシティーオリンピックのメダル受賞数一覧」を参照

順国・地域金銀銅計
1 アメリカ合衆国452834107
2 ソビエト連邦29323091
3 日本117725
4 ハンガリー10101232
5 東ドイツ99725
6 フランス73515
7 チェコスロバキア72413
8 西ドイツ5111026
9 オーストラリア57517


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