1968年度新人選手選択会議
ドラフト概要
開催日1968年11月12日
開催地東京都千代田区
会場日生会館
司会伊東一雄
制度変則ウェーバー(指名順予備抽選)
指名数135名
入団拒否52名
全体指名順
全体1位(東映)大橋穣(内野手・亜細亜大学)
全体2位(広島)山本浩二(外野手・法政大学)
全体3位(阪神)田淵幸一(捕手・法政大学)
全体4位(南海)富田勝(内野手・法政大学)
NPBドラフト会議 ≪ 1967 1969 ≫
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1968年度新人選手選択会議(1968ねんどしんじんせんしゅせんたくかいぎ)は1968年に行われた第4回のプロ野球ドラフト会議である。
概要
1968年11月12日に東京・日比谷日生会館において開催された。
第3回まで非公開で行われていたが、本年より会議の一部始終がマスコミに公開されるようになった。
予備抽選で選択指名順を決定し、1位・3位・5位などの奇数順位の指名順は予備抽選の1番→12番、2位・4位・6位などの偶数順位の指名順は奇数順位とは逆に予備抽選の12番→1番に遡る選択指名順を取った。
予備抽選の結果は東映 - 広島 - 阪神 - 南海 - サンケイ - 東京 - 近鉄 - 巨人 - 大洋 - 中日 - 阪急 - 西鉄
指名選手数は無制限。
長嶋茂雄の持っていた東京六大学リーグ通算本塁打記録を大幅に更新した法政大学の田淵幸一を筆頭に、田淵と共に法政三羽ガラスと呼ばれた山本浩司と富田勝、法政三羽ガラスのライバルと言われ東京六大学リーグで通算23勝(内ノーヒットノーラン1回)を挙げた明治大学の星野仙一、東都大学リーグ通算20本塁打の新記録を打ち立てた亜細亜大学の大橋穣や、近畿大学の有藤通世、第18回日本産業対抗野球大会で優勝した全鐘紡のダブルエース、藤原真、水谷宏が注目された。また、金田正一の弟の金田留広も東映に4位指名され入団した。
指名順位1番の東映は大橋、2番の広島は山本、3番の阪神は田淵、4番の南海は富田、5番のサンケイは藤原、6番の東京は有藤、7番の近鉄は水谷をそれぞれ1位指名した。
田淵は巨人入りを希望していたが、阪神が強行指名。巨人はこの時、田淵が指名できなかった時は星野を指名すると約束していたが、この約束を反故にして武相高校のエース・島野修を指名[1]。