1968年のメジャーリーグベースボール
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以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1968年のできごとを記す。

4月10日に開幕して10月10日に全日程を終了。アメリカンリーグデトロイト・タイガースが23年ぶり8度目、ナショナルリーグセントルイス・カージナルスが2年連続12度目のリーグ優勝を飾った。ワールドシリーズはタイガースがカージナルスを4勝3敗で破り、23年ぶり3度目のシリーズ制覇を果たした。

カンザスシティ・アスレチックスはミズーリ州カンザスシティからカリフォルニア州オークランドに本拠地を移転、チーム名もオークランド・アスレチックスとなった。また両リーグ共に翌年からエクスパンションによって12チームになることが既に決定しており、10チーム制はこの年が最後だった。

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できごと

アメリカンリーグは、前年1ゲーム差で惜しくも優勝を逃したタイガースが開幕2試合目から9連勝し、そのままの勢いで首位を独走。2位ボルチモア・オリオールズに12ゲームの大差をつけて1945年以来のリーグ優勝。打線はウィリー・ホートン(36本)、ビル・フリーハン(25本)、ノーム・キャッシュ(25本)、ジム・ノースラップ(21本)の4人が20本塁打以上を記録し、チーム本塁打185は2位オリオールズに52本差をつけた。投手陣は31勝を挙げて最多勝利を獲得し、サイ・ヤング賞MVPをダブル受賞したデニー・マクレイン(防御率1.96)、ミッキー・ロリッチ(17勝・防御率3.19)、アール・ウィルソン(13勝・防御率2.85)の先発3本柱が原動力となった。マクレインの30勝到達は1934年ディジー・ディーン以来34年ぶりで、その後シーズン30勝を達成した投手は2020年現在出ていない。首位打者は前年三冠を達成したボストン・レッドソックスカール・ヤストレムスキー(.301)、最多本塁打ワシントン・セネタースフランク・ハワード(44本)、最多打点はレッドソックスのケン・ハレルソン(109打点)、最多盗塁はアスレチックスのバート・キャンパネリス(62盗塁)が1965年から4年連続で獲得した。

ナショナルリーグは、前年の覇者カージナルスが2位サンフランシスコ・ジャイアンツに9ゲーム差をつけて連覇を達成。エースボブ・ギブソンは22勝・防御率1.12・268奪三振・13完封と圧倒的な成績で、最多勝利は逃したものの最優秀防御率最多奪三振の二冠を獲得。マクレイン同様サイ・ヤング賞とMVPをダブル受賞した。他の投手陣もネルソン・ブライルズ(19勝・防御率2.81)、レイ・ウォシュバーン(14勝・防御率2.26)、スティーブ・カールトン(13勝・防御率2.99)と盤石だった。最多勝利はジャイアンツのフアン・マリシャル(26勝)、首位打者はシンシナティ・レッズピート・ローズ(.335)、ジャイアンツのウィリー・マッコビーが36本塁打・105打点で最多本塁打・最多打点の二冠、最多盗塁はカージナルスのルー・ブロック(62盗塁)が1966年から3年連続で獲得した。

ワールドシリーズはマクレイン,ギブソンの両エース対決が注目を集めたが、第1戦はギブソンがシリーズ新記録となる17奪三振で完封。第4戦はカージナルス打線がマクレインを攻略、ギブソンは1失点完投で自身シリーズ通算7連勝とした。第4戦に勝利したカージナルスが3勝1敗と王手をかけたが、第5戦でタイガースのロリッチが完投で2勝目、第6戦はマクレインが中2日で先発して完投勝利、3勝3敗のタイに持ち込んだ。最終第7戦はギブソンとロリッチが対決。6回まで両チーム無得点だったが、7回表にカージナルスのカート・フラッドの拙い守備からタイガースが3点を奪って均衡を破り、ロリッチが1失点完投でタイガースが勝利。ギブソンのシリーズ8連勝とカージナルスのシリーズ連覇はならなかった。
史上屈指の「投手の年」

アメリカンリーグで打率3割を超えたのは首位打者のヤストレムスキー唯一人で、打率.301は1905年クリーブランド・ナップス(のちのガーディアンズ)エルマー・フリックが記録したMLBにおける首位打者の最低打率.308を更新し、現在も破られていない。ナショナルリーグも3割打者は5人だけだった。

ギブソンの防御率1.12は、1880年ティム・キーフトロイ・トロージャンズ)の0.86、1914年ダッチ・レナード(レッドソックス)の0.96、1906年モーデカイ・ブラウンシカゴ・カブス)の1.04に次ぐもので、ライブボール時代といわれる1920年以降に限れば歴代最高記録である。インディアンスのサム・マクダウェルは15勝に留まるものの、283奪三振で最多奪三振。防御率も1.81だったが、最優秀防御率はチームメイトのルイス・ティアント(21勝・264奪三振)が、1920年以降ではリーグ最高となる1.60を記録して獲得した。

ロサンゼルス・ドジャースドン・ドライスデールは、6試合連続完封を含む58.2イニング連続無失点を達成し、1913年ウォルター・ジョンソンの55.2イニングを55年ぶりに更新してメジャー新記録を樹立した。20年後の1988年に、ドジャースの後輩オーレル・ハーシュハイザーが59イニング連続無失点を達成して更新されたが、現在でも史上2位の記録である。この他にもギブソンが47イニング連続、ティアントが42イニング連続無失点を記録している。この年は以上のような投高打低の記録に象徴される史上屈指の「投手の年」であった。そしてこれを契機に翌年ストライクゾーンの見直し、ピッチャーズマウンドの高さ変更等の対策が講じられることとなった。
MM砲の終焉

1961年ベーブ・ルースが持つシーズン60本塁打を更新する61本塁打を記録したロジャー・マリス1967年にカージナルスに移籍し、この年もワールドシリーズに出場していたが手首の故障からシーズン終了後に現役を引退。


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