1965年の映画
9月10日 - 第26回ヴェネツィア国際映画祭で黒澤明監督『赤ひげ』がサン・ジョルジョ賞・国際カトリック映画事務局賞・ベニス市長賞[5][8][注 2]、主演の三船敏郎は男優賞受賞[5][3]。
日本「1965年の日本#できごと」も参照
1月
1月15日 - 東映、内田吐夢監督『飢餓海峡』公開[9]。
1月23日 - 東映新労働組合連合結成[10]。
2月
2月5日 - 映連配給部会、スクリーンクォータ案(日本映画特別上映制度)検討[11]。適用の劇場は全国8大都市東宝系14、松竹系7、東映系1[12]。指定の洋画専門劇場には年間40日以上の邦画上映を義務付ける[7]。
2月27日 - 松竹・東急洋画チェーン発足[10][13]。東京地区で過当競争防止と東宝洋画興行圏への対抗を主目的とした連合[7]。東映の丸の内・浅草・新宿・渋谷東映パラス4劇場も参加[10]。スーパーロードショー系(東劇、新宿ピカデリー、渋谷東急)、Aロードショー系(渋谷パンテオン、新宿ミラノ座、 丸の内東映パラス)、Bロードショー系(新宿東急、池袋東急、渋谷全線座、浅草ロキシー)、一般封切8館[7]。丸の内ピカデリー、東銀座・松竹セントラル、丸の内松竹は単独ロードショー劇場[7]。
3月
松竹京都撮影所が閉鎖されることが発表される[3]。撮影所は8月末に閉鎖された[3]。東宝争議以来、16年ぶりの大合理化で映画界に再び合理化の波到来[7]。
3月10日 - スポーツ記録映画の枠を超えた演出の長編記録映画『東京オリンピック』(市川崑監督)に対し、河野一郎オリンピック担当大臣がクレーム[13][3][注 3]。記録か芸術かの賛否論争になる[13]。
3月20日 - 市川崑監督『東京オリンピック』が東宝系で封切られ、〔最終的には〕2000万人動員を達成する[3][13]。
3月24日 - 東宝有楽ビル落成(4月1日より開業)[13]。
4月
大映争議[3]。5月21日、大映東京撮影所に機動隊二百数十人が出動した[3]。
4月1日 - 日比谷映画劇場『007/ゴールドフィンガー』が大ヒット、8週間興行・総入場人員 39万9146人[13]。
4月18日 - 東映、高倉健主演の「網走番外地」シリーズが始まり、大人気[9]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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