1965年のロードレース世界選手権
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1965年の
FIMロードレース世界選手権
前年:1964翌年:1966
500ccクラスチャンピオン、マイク・ヘイルウッドMVアグスタ

1965年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第17回大会である。3月にデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで開催されたアメリカGPで開幕し、鈴鹿で開催された最終戦日本GPまで、全13戦で争われた。
シーズン概要

チェコスロバキアの国内レースとして開催されていたチェコスロバキアGPが世界選手権に昇格し、この年のロードレース世界選手権は全13戦となった。250ccクラスは全てのグランプリでレースが行われている。またこの年のドイツGPは、初めてニュルブルクリンクの1周7.747kmの南コース(ショートコース)で行われた。

1957年から基本的に進化していない2バルブ4気筒のマシンで350ccクラスと500ccクラスを戦ってきたMVアグスタは、戦う相手が単気筒マシンしかいない500ccクラスでは相変わらず他を圧倒する速さを発揮し続けていたが、ホンダのパワフルなマシンに大きく遅れをとっていた350ccクラスには、この年ついに新型の4バルブ3気筒マシンを送り込んだ[1]。しかし、この軽量で扱いやすい新型3気筒マシンはイタリアの新人ジャコモ・アゴスチーニに優先的に与えられ、長くMVアグスタの500ccタイトルを守り続けてきたマイク・ヘイルウッドは当初は旧くて重い4気筒に乗らなければならなかった。このイタリア人を優先して勝たせようとするMVアグスタのアグスタ伯爵の独裁ぶりに、これまでも決して円満とは言えなかったヘイルウッドとMVアグスタとの間の亀裂は決定的なものとなった[2]。最終戦となった日本GPの350ccクラスでホンダのジム・レッドマンを破って優勝したヘイルウッドは350ccのレース後にMVアグスタを離れ、同じ日に続いて行われた250ccクラスのレースからはホンダ陣営に加わったのである[3]

一方、小排気量クラスにおける4ストロークのホンダと、2ストロークヤマハスズキとの技術競争にはますます拍車がかかっていた。ヤマハは125ccの2気筒を水冷化し[4]、シーズン終盤には125ccの2気筒を2段重ねにした250ccV型4気筒のマシンを投入[5]。スズキも250cc水冷スクエア4に続いて125ccのマシンを水冷化、50ccクラスには水冷2気筒のマシンを走らせた[6]。対するホンダは前年の250cc6気筒に加えて、この年の2月には125cc5気筒マシンの開発をスタートさせ、最終戦で実戦に投入している[7]。また、以前から最高峰クラスへの参戦を噂されていたホンダは、やはりこの年の2月から350ccモデルをベースにした500ccマシンの開発を始めていた[8]
500ccクラス

MVアグスタの4気筒は、この年もこれまで同様にマチレスノートンの単気筒に比べて充分に速く、マイク・ヘイルウッドは10戦中8勝を挙げて易々と500ccクラス4連覇を達成した[9]。雨となった第3戦マン島では転倒したにもかかわらず、再スタートから優勝している[10]。ただ一人ヘイルウッドと同じマシンに乗る新人のジャコモ・アゴスチーニは順当にランキング2位を獲得したものの、ほとんどのレースではヘイルウッドに大差をつけられての2位だった。それでも初めて500ccのマシンでレースをしたシーズン序盤に比べて終盤にはその差はかなり縮まっており、ヘイルウッドがフィニッシュできなかった第9戦のフィンランドGPではこのクラスでの初勝利を記録している[11]
350ccクラス

MVアグスタが投入した350cc専用設計の3気筒マシンは、気筒あたり4バルブで13000回転まで回すことができるエンジンに7速ギアボックスが組み合わされ、更に旧来の4気筒より格段に軽量コンパクト化されたことで従来のウィークポイントであったコーナーリング性能が大幅に改善されていた[1]。そしてイタリア人にタイトルを獲らせたいと考えていたアグスタ伯爵は、緒戦のドイツGPで、この新型マシンを実績のあるマイク・ヘイルウッドではなくチームに抜擢したばかりの新人ジャコモ・アゴスチーニに与えた[12]。それに対して、前シーズンは全戦全勝という完全勝利でタイトルを得たホンダジム・レッドマンは、前年型を更に改良した4気筒の2RC172で臨んだ。

開幕戦のドイツではレッドマンがクラッシュし、新型を与えられたアゴスチーニが期待に応えてグランプリ初優勝を飾った。続くマン島TTではレッドマンの相手はヘイルウッドになったが、ヘイルウッドがエンジントラブルでリタイヤしてレッドマンがシーズン初優勝を挙げた[13]。レッドマンはそのままの勢いで第5戦チェコスロバキアGPまで4連勝してシーズンをリードしたがアルスターGPで再びクラッシュ、その後の2戦を欠場することになってしまった。そしてレッドマンがいない間にアゴスチーニがフィンランドイタリアと連勝し、タイトル決定は最終戦の日本GPに持ち越された。なんとしてもアゴスチーニにタイトルを獲らせたいMVアグスタは日本GPではチームオーダーによってアゴスチーニを先行させ、ヘイルウッドには後方でレッドマンを抑え込む役目を命じた。しかしアゴスチーニはマシントラブルによって後退し、レースはヘイルウッドが優勝。2位に入賞したレッドマンとホンダが4年連続となるタイトルを獲得した[14][15]

この年、ヤマハが250ccの2ストローク空冷2気筒を拡大したマシンでこのクラスの数戦に出場し、マン島ではフィル・リードがレッドマンに続く2位でフィニッシュした[14]
250ccクラス

ホンダが例年通り開幕戦のアメリカGP出場を見合わせ、ヤマハフィル・リードマイク・ダフが順当に1・2フィニッシュを飾った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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