1964年東京オリンピック
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石津謙介がデザインしたと言うのが通説となっていたが、研究者の調査によって望月靖之がデザインしたという多数の裏付けが可能な資料の存在が判明した[31][32]


選手村などで着るユニホーム

開会式・閉会式用ユニホームと基本的に同じデザインだがダークカラーが採用されて地味になっている。下半身は男子はグレーのズボン、女子も色はグレーでボックス・ブリーツをスカートにしたもの。靴は男子は黒色の紳士靴。女子も黒色のローヒール。前述の式典用と同様に女子だけ純白のショルダーバッグが採用されている。


トレーニングウェア

大会会場などで試合時以外に着用するトレーニングウェア。男女共に同じデザインで、赤色を基本に方から袖、わきの下からパンツの裾まで、身体の両側の側線に沿うようなラインで白い筋が入っている。そして胸と背中に白色のローマ字で「NIPPON」と書かれている。素材は100%化学繊維で出来ていた。


楽曲

東京オリンピックの行事で使用された楽曲は、オリンピック東京大会組織委員会に設けられた式典運営協議会で以下の5曲が決められた[36]。これらの曲は前年のオリンピックデーで披露された[注釈 5]

オリンピック東京大会ファンファーレ」(作曲:今井光也

「オリンピック東京大会讃歌(A)」(作詞:佐藤春夫、作曲:清水脩

「オリンピック東京大会讃歌(B)」(作詞:西条八十、作曲:小倉朗

オリンピック賛歌」(作詞:コスティス・パロマ、訳詞:野上彰、作曲:スピロ・サマラ、オーケストラ編曲:古関裕而

「オリンピック・マーチ」(作曲:古関裕而)

「ファンファーレ」は広く一般から公募して、海外からの応募作を加えて414編の中から選ばれたもので、当時長野県在住の今井光也が作曲し、日本の伝統的音階を基調とした8小節の東洋的色調に溢れた作品で四部形式で書かれた純トランペットの曲であった[36]

オリンピック東京大会讃歌は、東京大会のみに使われた賛歌で、開会式用の(A)、閉会式用の(B)の2曲があり、聖火が灯された直後と聖火が消えゆく直前に歌われた。

選手団の入場行進曲は、世界各国の著名な行進曲12曲が選ばれて、最初と最後に使用される行進曲として「オリンピック・マーチ」を古関裕而が作曲した。1分間120の行進速度でコーダは「君が代」の旋律で結ばれている。

この他に、開会式冒頭には「オリンピック序曲」(作曲:團伊玖磨)が華やかな雰囲気の中で演奏され、昭和天皇・香淳皇后ロイヤルボックスに着席する直前には電子音楽「オリンピック・カンパノロジー」(作曲:黛敏郎)が荘厳な雰囲気を醸し出していた。

国民の五輪への関心を高めるために、日本放送協会 (NHK)がオリンピック東京大会組織委員会、日本体育協会東京都の後援で製作したのが以下の音頭と愛唱歌で、1963年6月23日に発表されてレコード会社各社から競作で吹き込み発売された[36]

東京五輪音頭」(作詞:宮田隆、作曲:古賀政男、歌:三波春夫橋幸夫・つくば兄弟・神楽坂浮子三橋美智也坂本九北島三郎畠山みどり大木伸夫・司富子)

海をこえて友よきたれ」(作詞:土井一郎、作曲:飯田三郎

これとは別に、日本ビクターが公募して日本体育協会、オリンピック東京大会組織委員会、東京都が選定し、日本体育協会、オリンピック東京大会組織委員会、東京都文部省日本放送協会 (NHK)、日本民間放送連盟(民放連)の後援で1962年5月8日に東京都体育館で日本ビクター主催「オリンピックの歌発表会」で発表されたのが以下の2曲である。

「東京オリンピックの歌「この日のために」」(作詞:鈴木義夫、補作:勝承夫、作曲:福井文彦、編曲:飯田信夫、歌:三浦洸一安西愛子・ビクター合唱団)ビクターレコードVS-693 (JES-3408)

「東京オリンピック音頭」(作詞:山川茂男、補作:佐伯孝夫、作曲:馬飼野f、編曲:寺岡真三、歌:橋幸夫市丸松島アキラ神楽坂浮子・ビクター少年民謡会)VS-693 (JES-3409)

オリンピックの開催時期には芸術展示として、多くの日本の芸術作品が披露された[37]
記念発行物記念貨幣(100円銀貨)記念貨幣(1000円銀貨)記念乗車券(バス1区乗車券 ¥15)

記念切手

5+5円付加金付きが20種類、1961年10月11日三種、1962年6月23日三種、10月10日三種、1963年6月23日三種、11月11日四種、1964年6月23日四種の七次にわたり発行された。

5円・10円・30円・40円・50円の五種類が1964年9月9日(5円のみ)、1970年10月10日(残り四種)に発行された。

「出場記念」として東京オリンピック記念切手を発行した国としては中華民国(台湾)韓国ソ連、北朝鮮(ボイコット)などがある。



記念貨幣

100円銀貨が1964年9月21日(11月24日追加発行)、1000円銀貨が1964年10月2日(10月29日追加発行)に発行された。詳細は東京オリンピック記念貨幣を参照。


記念乗車券

東京都交通局が、バス乗車券『 オリンピック 東京大会 記念乗車券』を発売。


東京オリンピック開催が日本にもたらした影響詳細は「1964年東京オリンピックのレガシー」を参照

東京オリンピック開催を契機に、競技施設や日本国内の交通網の整備に多額の建設投資がなされ、競技を見る旅行需要が喚起され、テレビ放送を見るための受像機購入の飛躍的増加などの消費も増えたため、日本経済に「オリンピック景気」といわれる好景気をもたらした。

開催地の東京では、開催に向けて競技施設のみならず、帝都高速度交通営団東京モノレール羽田空港線首都高速道路ホテルなど、様々なインフラストラクチャーの整備が行われ、都市間交通機関の中核として東京(首都圏)から名古屋(中京圏)を経由して、大阪(京阪神)に至る三大都市圏を結ぶ東海道新幹線も開会式9日前の10月1日に開業した。これらのほとんどは、現在に至るまで改良やメンテナンスを重ねながら利用されている。

開会式が行われた10月10日は、1966年(昭和41年)国民の祝日に制定され、以降「体育の日」として広く親しまれるようになった(2000年平成12年〉より10月の第2月曜日2021年令和3年〉より「スポーツの日」となった)。それまで社会人のスポーツは見る物だったが、ママさんバレーに代表される参加するスポーツが盛んになり、公共のスポーツ施設が各地に造られていった。
「テレビ・オリンピック」オリンピック放送を観戦する市民。
その後、街頭テレビは衰退していった。

東京オリンピックは、ベルリンオリンピックで初お目見えしたオリンピックのテレビ中継技術が格段に向上したことを印象づける大会となった。衛星放送技術を始め、カラー写真・小型のコンパクトカメラの開発などもその特徴である。


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