1964年東京オリンピック
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開催が決定した日本では「東京オリンピック組織委員会」(会長:津島寿一、事務総長:田畑政治)が組織され、国家予算として国立競技場をはじめとした施設整備に約164億円、大会運営費94億円、選手強化費用23億円を計上した国家プロジェクトとなった[注釈 2]

開催にあたり、組織委員会は巨大な東京オリンピック公式ポスターを都市部に設置、デザインは亀倉雄策が手掛けた。

組織委員会では、津島と田畑が第4回アジア大会参加問題で1962年10月に引責辞任。後任に安川第五郎が組織委員会会長、与謝野秀が事務総長となった[4][5]。政府側でも、オリンピック担当国務大臣を設け川島正次郎が就き、1964年7月第3次池田内閣河野一郎が就任した。
実施競技と日程

各競技の詳細については、それぞれの競技のリンク先を参照のこと。

競技名 / 日付(10月)101112131415161718192021222324
開会式?
陸上競技????????
競泳競技
飛込競技????????
水球???????
体操??????
柔道????
レスリング????????
自転車競技??????
バレーボール???????????
バスケットボール???????????
サッカー?????????
ボクシング????????????
ボート?????
セーリング???????
カヌー???
フェンシング???????????
ウエイトリフティング???????
ホッケー????????????
近代五種競技?????
馬術???????
射撃?????
閉会式?

公開競技

男子野球

デモンストレーション

武道

ハイライト開会式で整列する各国競技団マラソンで先頭を走るアベベ(甲州街道甲州街道上り、味の素スタジアム。1964年東京オリンピックマラソン折り返し地点。調布市甲州街道下り、小金井街道入口交差点。1964年東京オリンピック50 km競歩折り返し点。府中市緑町閉会式

10月10日

開会式

詳細は「1964年東京オリンピックの開会式」を参照

10月11日

重量挙げバンタム級で一ノ関史郎が銅メダル獲得。日本勢初のメダル。


10月12日

重量挙げフェザー級で三宅義信が優勝。


10月13日

水泳競技男子100m自由形で、ドン・ショランダーが優勝。


10月14日

水泳競技女子100m自由形で、ドーン・フレーザーが三連覇。

陸上競技男子10000メートル競走で、伏兵ミルズが優勝[注釈 3]

レスリング、フリースタイルで吉田義勝、渡辺長武、上武洋次郎が優勝。


10月15日

陸上競技、男子100mでボブ・ヘイズが優勝。


10月16日

陸上競技、男子800mでピーター・スネルが二連覇を達成。


10月17日

陸上競技、棒高跳びで9時間半の熱闘の末、ハンセンが優勝。


10月18日

水泳競技で米国勢が活躍。ドン・ショランダーが金メダル4個。

水泳競技で日本勢は最後の種目で銅メダル獲得。


10月19日

レスリング、グレコローマンで市川政光、花原勉が優勝。フリースタイルと合わせて5個の金メダル獲得。


10月20日

柔道軽量級で中谷雄英優勝。

体操男子は、団体で金、個人総合で金・銀。体操女子も団体で銅メダル。女子個人総合でベラ・チャスラフスカが優勝。


10月21日

陸上競技マラソンアベベの優勝、史上初の連覇。円谷幸吉が銅メダル。

柔道中量級で岡野功優勝。


10月22日

体操男子は、つり輪で早田卓次が金メダル。

柔道重量級で猪熊功が優勝。日本に3個目の金メダル。


10月23日

女子バレーボールで日本がソ連を破り優勝。男子は銅メダル。

ボクシングのバンタム級で桜井孝雄が初の金メダル。ヘビー級はジョー・フレージャーが優勝。

体操女子は、平均台でベラ・チャスラフスカが優勝。3個目の金メダル獲得。

体操男子は、跳馬で山下治広が金、平行棒で遠藤幸雄が金、鶴見修治が銀。遠藤が団体・個人と合わせて3個目の金メダル獲得。

柔道無差別級でオランダアントン・ヘーシンクに神永敗れる。


10月24日

閉会式

詳細は「1964年東京オリンピックの閉会式」を参照
会期選定の議論

東京が1964年夏季オリンピックの開催権を獲得した1959年の時点では、日本側の準備委員会は会期について、過去の気象データで晴天が多い時期である、7月25日?8月9日と10月17日?11月1日の2案を提案した。しかし、その後の検討では、5?6月案が浮上した。9月ごろには、日本に台風が上陸しやすく、1959年の伊勢湾台風で大きな被害が発生したこと。東京で開催された1958年アジア競技大会の成功が、5?6月の日本の初夏の爽やかな気候も一因だったことが理由である。東京オリンピック組織委員会は、1960年2月にサンフランシスコで開催された第56回IOC総会で、5?6月案を追加した会期案を検討中であると明らかにした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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