1964年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1964
投票率61.9%[1] 0.9%
候補者リンドン・ジョンソンバリー・ゴールドウォーター
政党民主党共和党
出身地域テキサス州アリゾナ州
副大統領候補者
ヒューバート・H・ハンフリー
ウィリアム・E・ミラー
州別獲得選挙人分布図
.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} ジョンソン ゴールドウォーター
選挙前大統領
リンドン・ジョンソン
民主党選出大統領
1964年アメリカ合衆国大統領選挙(1964ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1964)は、1964年11月3日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第45回)。アメリカ合衆国史の中でも最も一方的な選挙の一つになった。
現職大統領リンドン・ジョンソン(民主党)は、前任者ジョン・F・ケネディの暗殺で1年足らず前に大統領職を継いだが、ケネディ人気にうまく自身も乗せることができた。ジョンソンはまた、対抗馬である共和党でアリゾナ州選出アメリカ合衆国上院議員バリー・ゴールドウォーターを、1930年代に創られた社会福祉プログラム(例えば社会保障)の廃止を望んでいる右派だと批判した。さらにゴールドウォーターならば、この国をソビエト連邦との核戦争に突入させるかもしれないと主張した。ジョンソンはこれらの要素をうまく働かせて、50州のうち44州とコロンビア特別区を制し、容易に当選した。2007年時点で、ジョンソンとゴールドウォーターの一般選挙における得票率差22.6ポイントは大統領選挙の歴史の中で5番目に大きなものである(これより上位に来るものは1920年、1924年、1936年および1972年の選挙)。ジョンソンは一般選挙で61.1%の得票率となったが、これは1820年以降の大統領候補者が得たものとしては最高となっている。
ジョン・F・ケネディの暗殺詳細は「ケネディ大統領暗殺事件」を参照
ケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。ケネディ支持者はカリスマ的指導者を失ったことで衝撃を受け悲嘆に暮れた。対抗する大統領候補者は殺害された大統領の政策に反対して出馬することには間が悪い立場に立たされた。
その後の服喪期間、共和党の指導者達は不敬に思われないように政治的停止期間を要求した。主要政党の候補者はだれもが1964年1月まではほとんど政治活動を行わず、その後に公式の予備選挙の季節が始まった。当時、政治評論家の多くはケネディの暗殺がこの国を政治的に不安定な状態にしたと見ていた。
候補者の指名
民主党の指名
民主党の大統領指名候補者
リンドン・ジョンソン、現職大統領、テキサス州出身
ジョージ・ウォレス、アラバマ州知事
ジョンソンの大統領候補指名は確定的だったが、ジョンソンは党大会を支配し、公民権に関する公然の闘争を避けることを望んだ。それでも、公民権問題に関しては指名の時期に2つの派から挑戦を受けた。
人種差別主義者でアラバマ州知事のジョージ・ウォレスは、ジョンソンに対抗して北部州での多くの予備選挙に出馬し、メリーランド州、インディアナ州およびウィスコンシン州の予備選挙では、ジョンソンに対する当て馬である地元出身のお気に入り候補に対して驚くべき善戦をした。
予備選挙での総得票数
パット・ブラウン - 1,693,813 (27.26%)
リンドン・ジョンソン - 1,106,999 (17.82%)