1964年の日本シリーズ
MVPを受賞したスタンカ
ゲームデータ
日本一
南海ホークス
5年ぶり2回目
4勝3敗
試合日程1964年10月1日-10月10日
最高殊勲選手ジョー・スタンカ
敢闘賞選手山内一弘
チームデータ
南海ホークス(パ)
監督鶴岡一人
シーズン成績84勝63敗3分(シーズン1位)
阪神タイガース(セ)
監督藤本定義
シーズン成績80勝56敗4分(シーズン1位)
日本シリーズ ≪ 1963 1965 ≫
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1964年の日本シリーズ(1964ねんのにっぽんシリーズ、1964ねんのにほんシリーズ)は、1964年10月1日から10月10日まで行われた、1962年以来2年ぶりのセ・リーグ優勝となった阪神タイガースと3年ぶりのパ・リーグ優勝となった南海ホークスによる第15回プロ野球日本選手権シリーズである。 鶴岡一人監督率いる南海ホークス、藤本定義監督率いる阪神タイガースはともに関西地区で人気のあるチームであり[1]、日本シリーズで初対戦となった[1]ことから「関西シリーズ」などと称された[2]。また、それぞれの親会社である阪神電気鉄道は梅田駅(現大阪梅田駅)、南海電気鉄道は難波駅と、大阪市のキタとミナミにターミナル駅をおいて拠点としていることから、大阪都心を南北に結ぶ御堂筋になぞらえ「御堂筋シリーズ」とも呼ばれた[3][4]。日本シリーズが東海地方以西同士の対戦となった、関東地方で日本シリーズが1試合も開催されなかったのは、「名福対決」だった1954年以来10年ぶり史上2度目の事である。結果は南海が阪神を4勝3敗で下し、1959年以来2度目の日本一を達成した。 この年のプロ野球は、10月10日から東京オリンピックが開催されるため、開会式の10月10日までに日本シリーズを含めた全日程を終了する方針であった[5]。そのため、パシフィック・リーグ、セントラルリーグの両リーグはともに公式戦を例年よりも前倒し、日本シリーズの日程も9月7日の日本シリーズ運営委員会にて9月29日に開幕し10月7日に閉幕と決定した[6]。 ところが、パ・リーグは9月20日に南海が優勝を決め9月29日に全日程を終了したのに対しセ・リーグは優勝争いが閉幕間際まで続いたのと雨天順延が重なったため、9月30日に阪神が優勝を決定し同日に閉幕となった。このため、日本シリーズは当初の予定より2日順延した10月1日開幕となる。その結果、阪神はリーグ優勝を決定した翌日に日本シリーズに臨むという強行日程を余儀なくされた。そして日本シリーズも阪神の3勝2敗で迎えた10月8日開催の第6戦が雨のため翌9日順延となり、第6戦も南海が勝ったため翌10日に最終戦となる第7戦が開催されることになり、オリンピックの開会式と被ることになってしまった。 シリーズの展開は、南海が第1戦をエースのジョー・スタンカの完封で先勝すると阪神が第2戦をエースのジーン・バッキーの完投で1勝1敗のタイとした。第3戦は阪神が南海先発のスタンカを打ち崩して2勝1敗とすると、第4戦は南海がケント・ハドリのサヨナラ本塁打で2勝2敗のタイとした。迎えた第5戦は阪神がピーター・バーンサイドの先発起用が当たって勝利し、日本一に王手をかけた。
概要