1964年の南海ホークス
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1964年の南海ホークス
成績
日本一
日本S4勝3敗(対阪神[1]
パシフィック・リーグ優勝
84勝63敗3分 勝率.571[2]
本拠地
都市大阪府大阪市浪速区
球場大阪球場

球団組織
経営母体南海電気鉄道
監督鶴岡一人
≪ 19631965 ≫

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1964年の南海ホークスでは、1964年の南海ホークスにおける動向をまとめる。

この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の19年目のシーズンである。
概要

前年主砲の野村克也が52本塁打を放ちながらも西鉄の逆転優勝を許して2位となり、鶴岡監督は「もう一度優勝する」と意気込み開幕を迎えた。しかし前年と違ってチームは平凡なスタートを余儀なくされ、5月には前年Bクラスの東京と同率3位になるなど苦戦が続いた。チームが上昇気流に乗ったのは6月からで、首位の阪急に2ゲーム差と迫ると、7月には14勝6敗と勝ち越して首位を奪回。このまま優勝が期待されたが、その後も阪急がマークするなど苦戦を強いられた。阪急の選手が優勝争いに慣れていなかったこともあり、最後は3年ぶり9度目のリーグ優勝を達成。対戦成績では東映、東京にそれぞれ14勝15敗1分と負け越したものの、西鉄に20勝9敗1分、最下位の近鉄には19勝11敗と大きく勝ち越した。日本シリーズ阪神との関西決戦となったが、エースのジョー・スタンカが第1・6・7戦で3完封の離れ業をやってのけ阪神を4勝3敗で破り、5年ぶり2度目の日本一に輝いた。試合後、阪神の藤本定義監督は「今年の日本シリーズはスタンカにしてやられた」と語るのが精いっぱいだった。一方、野球留学生に選ばれ渡米していた村上雅則は、サンフランシスコ・ジャイアンツのファーム・A級のフレスノに配属されていたが、156奪三振・防御率1.78がジ軍に見入られてジ軍に昇格、日本人初のメジャーリーガーが誕生、9月29日にヒューストン・コルトフォーティファイブス(現:アストロズ)戦でメジャー初勝利をあげた。しかしシーズン終了後、ジ軍が南海の許可無しに村上と翌年の契約をしてしまった事から大騒ぎ、結局1年間の期限付きで村上は1965年もジ軍に在籍する事になる。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー[3]1中広瀬叔功
2右樋口正蔵
3二ローガン
4捕野村克也
5一ハドリ
6左井上登
7遊小池兼司
8三森下整鎮
9投三浦清弘

1964年パシフィック・リーグ順位変動順位3月終了時4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時最終成績
1位西鉄--阪急--西鉄--阪急--南海--南海--南海--
2位南海1.5西鉄1.0阪急0.0南海2.0阪急0.5阪急6.0阪急3.5
3位阪急2.5南海2.5南海2.0東京3.5東京8.5東京9.5東映5.5
4位東京東京東京3.0西鉄7.5西鉄10.5東映11.5東京6.0
5位東映4.0東映3.0東映6.0東映10.0東映11.5西鉄17.5西鉄19.5
6位近鉄4.5近鉄9.0近鉄10.0近鉄19.0近鉄23.0近鉄30.5近鉄28.5


1964年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
1位南海ホークス84633.571優勝
2位阪急ブレーブス79656.5493.5
3位東映フライヤーズ78684.5345.5
4位東京オリオンズ77685.5316.0
5位西鉄ライオンズ63816.43819.5
6位近鉄バファローズ55914.37728.5

[2]
日本シリーズ

1964年 日本シリーズ日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月1日(木)第1戦南海ホークス2 - 0阪神タイガース阪神甲子園球場
10月2日(金)第2戦南海ホークス2 - 5阪神タイガース
10月3日(土)移動日
10月4日(日)第3戦阪神タイガース5 - 4南海ホークス大阪球場
10月5日(月)第4戦阪神タイガース3 - 4x南海ホークス
10月6日(火)第5戦阪神タイガース6 - 3南海ホークス
10月7日(水)移動日
10月8日(木)第6戦雨天中止阪神甲子園球場
10月9日(金)南海ホークス4 - 0阪神タイガース


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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