1963年貴族法英: Peerage Act 1963
イギリス議会
正式名称
1963年貴族法(1963ねんきぞくほう、英語: Peerage Act 1963 (1963 c. 48))は、イギリスの法律。この法律により、女性貴族とスコットランドの世襲貴族に貴族院議員への就任権が与えられ(スコットランド貴族代表議員の制度は廃止)、世襲貴族を新しく継承した人物は爵位の放棄を許可された。 1963年貴族法が成立した理由は主に第2代スタンスゲート子爵トニー・ベン(労働党所属)の抗議にある[1]。当時のイギリスの法律の規定によると、連合王国貴族は(年齢などの条件を満たせば)自動的に貴族院議員になり、庶民院議員に就任して庶民院で投票することはできなかった。そのため、トニー・ベンの父ウィリアム・ウェッジウッド・ベン
背景
トニー・ベンはそのまま最初に爵位を一代放棄した人物になり、シンクレアも就任時の約束を果たして、トニーの爵位放棄の前日にノースステッド邸家令(英語版)の官職に就任した[4]。これは庶民院議員の辞任(英語版)が許可されないためであり、その代替手段として官職就任で庶民院議員への資格を失うことを利用したのであった。その後、トニー・ベンは1963年ブリストル・サウス・イースト選挙区補欠選挙(英語版)で再び当選した。 世襲貴族を一代限りで放棄する場合、放棄声明書を大法官に提出する必要があるが、提出には期限が定められている(第1条1項[5])。その期限とは爵位継承から1年以内で、継承時点で21歳未満の場合は22歳になるまで、1963年貴族法の施行時点ですでに爵位を継承した場合は施行から1年以内である(第1条2項、3項[5])。ただし、爵位継承時点で庶民院議員である場合、期限は1か月に短縮され、さらに放棄声明書を提出する前は庶民院議員として会議に出席したり投票したりすることは禁止される(第2条1項[5])。世襲貴族が1963年貴族法の施行以降に貴族院への議会召集令状
内容
爵位一代放棄
すでに爵位を継承した人物でも1963年貴族法の施行から1年以内に爵位を放棄できるという規定はすぐにその重要性を示した。というのも、貴族法の施行から数か月後の1963年10月に首相ハロルド・マクミランが辞任、その後任をめぐって2人の世襲貴族を意欲を示したが、この時点の慣習(英語版)では首相は庶民院議員でなければならなかった。そのため、第2代ヘイルシャム子爵クィンティン・ホッグ(1950年に爵位継承)と第14代ヒューム伯爵アレック・ダグラス=ヒューム(1951年に爵位継承)は「施行から1年以内」という規定に基づき爵位を放棄した[1]。その後、ダグラス=ヒュームは首相に就任、また2人とも後に一代貴族として貴族院に戻った。
1999年に世襲貴族の自動的に貴族院議員に就任できる権利が廃止され、それに伴い庶民院議員への就任と庶民院での投票に対する制限も撤廃された。そのため、庶民院議員への就任を理由とする爵位放棄はその必要性がなくなった。2001年、第3代サーソー子爵ジョン・シンクレア(英語版)はイギリス史上はじめて庶民院議員に就任したイギリスの世襲貴族になった(それまではアイルランド貴族かスコットランド貴族、または爵位一代放棄をした例しかなかった)。同年、クィンティン・ホッグの息子で庶民院議員のダグラス・ホッグ(英語版)は父が一代放棄した爵位を継承したが、それを一代放棄せずに庶民院議員を務めることができた。2004年にロジアン侯爵の爵位を継承したマイケル・アンクラム(英語版)も同様だった。その後、ホッグとアンクラムは一代貴族に叙されて貴族院に移り、サーソー子爵は2015年イギリス総選挙で落選した後世襲貴族の互選で貴族院議員に当選した。このように、爵位一代放棄が主な目的を失ったため、1999年以降の爵位一代放棄は2002年にクリストファー・シルキンがシルキン男爵を一代放棄したという1例しかなかった。
爵位一代放棄に関する規定はイングランド貴族、スコットランド貴族、グレートブリテン貴族、連合王国貴族にのみ適用され(第1条1項[5])、アイルランド貴族の一代放棄に関する規定はなかった。これはアイルランドの大半が1922年に独立し、アイルランド貴族代表議員が1961年までに全員死去したことにより、アイルランド貴族の貴族代表議員選出の権利も消滅したとされたためだった。 1963年貴族法はイングランド貴族、グレートブリテン貴族、連合王国貴族と同じく無条件で貴族院議員に就任する権利をスコットランド貴族に与えたが(第4条[5])、これは貴族代表議員の制度の終焉と(1707年スコットランド貴族代表議員法
それ以外の条項
アイルランド貴族はそれまで連合王国庶民院の選挙では投票を禁止されていたが、1963年貴族法により投票を許可された(第5条[5])。
アイルランド貴族を除く女性世襲貴族は1963年貴族法により貴族院議員に就任する権利を与えられた(第6条[5])。これにより貴族院の女性議員が12人増えた。1963年貴族法に先立つ1958年一代貴族法では男性・女性にかかわらず一代貴族に貴族院議員に就任する権利を与えており、第2代レイブンズデール女男爵アイリーン・カーゾン(英語版)は1958年に一代貴族であるケドルストンのレイブンズデール女男爵に叙されたためすでに貴族院議員に就任していた。1963年貴族法の成立以降、1999年貴族院法の成立以前に貴族院議員に就任した女性世襲貴族は下記の通り。
貴族院議員に就任した女性世襲貴族[8]爵位名前就任日出典