1961年の映画
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9月6日 - フランス、ジャン=リュック・ゴダール監督『女は女である』公開[1][10]

9月29日 - フランス、アラン・レネ監督『去年マリエンバートで』公開[11][1][矛盾去年マリエンバートで]。

10月18日 - 米国、『ウエスト・サイド物語』(監督:ロバート・ワイズジェローム・ロビンズ)公開[12]、ヒット[1]

11月15日 - 女優高峰秀子が第5回サンフランシスコ映画祭で主演女優賞を受賞[8]

11月22日 - イタリア、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督『アッカトーネ』で監督デビュー[1][13][注 2]

日本

1月

1月1日

日本劇場の大改装が終わり、リニューアル・オープン[14]

東京・渋谷東映劇場で大晦日徹夜興行を実施、大盛況[5]


1月3日 - 『家光と彦左と一心太助』 / 『新吾二十番勝負』公開、ヒット[5]

1月9日 - 第3回東宝映画祭(ホノルルロサンゼルスサンパウロリマ)に出席するために、清水雅社長・宝田明草笛光子が出国[14]

1月15日 - 松山善三監督デビュー作『名もなく貧しく美しく』が公開されヒット[14]

1月16日 - 喜劇俳優古川緑波(57歳)死去[14][15]

1月24日 - スキー場で石原裕次郎が右足複雑骨折し入院[16]。半年間の戦線離脱のため、次回作『激流に生きる男』の主役を赤木圭一郎に変更[17]


2月

2月3日 - 東映第二東映をニュー東映に改称、独立した営業体制に転換[5][9][18]。2月20日、第二東映をニュー東映に商号変更[5]

2月14日 - 日活のスター赤木圭一郎が撮影所内でゴーカート事故[17]。2月21日、赤木は21歳で夭逝(ようせい)した[6][9][14]

2月21日 - 映画産業団体連合会(映団連)のなかに入場税撤廃運動本部が設置される[14]

2月25日 - 浅草・新宿・渋谷・丸の内の4東映劇場、特別席を設定[5]


3月

3月7日 - 宮城県鳴子町の鳴子劇場全焼、映写技師2人死亡[3]

3月28日 - 東映、創立10周年記念映画『赤穂浪士』(松田定次監督)公開[19]、ヒット[5]


4月

4月1日 - 東北新社設立[3]

4月26日 - 東映とニュー東映の2系統で、全プログラム2本立ての配給を開始[2]。ニュー東映は、現代劇をメインに新作2本立の製作配給[5]

4月28日 - 大阪・梅田ニュース劇場が北野シネマに名称変更し、一般の映画館としてリニューアル・オープン[2]


5月

5月4日 - 永田雅一大映社長が仏芸術文化勲章受章[3]

5月8日 - 東映、創立10周年記念祝賀パーティーを東京・椿山荘で開催[5]。祝賀パーティーは、6月9日、東映京都撮影所でも行われた[5]

5月27日 - 東映、シリーズ5部作の第1作目にあたる『宮本武蔵』(内田吐夢監督)が公開され、大ヒット[19]

5月31日 - 新東宝、映画製作中止[9][2]


6月

6月19日 - 新東宝、日本映画製作者連盟(映連)を正式に脱退、映画産業団体連合会(映団連)も自動的に離脱[3]


7月

チャールズ・チャップリン、〔4度目の〕来日[20]

ヘラルド映画がニッポンシネマコーポレーションと合併し、日本ヘラルド映画が発足した[21][注 3]
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