1960年アメリカ合衆国大統領選挙
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1960年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1960

1956年 ←
1960年11月8日
→ 1964年


投票率62.8%[1] 2.2%
 
候補者ジョン・F・ケネディリチャード・ニクソン
政党民主党共和党
出身地域マサチューセッツ州カリフォルニア州
副大統領候補者
リンドン・ジョンソン
ヘンリー・カボット・ロッジ・ジュニア
獲得選挙人303219
勝利地域数2226
得票数34,220,98434,108,157
得票率49.7%49.6%


州別獲得選挙人分布図
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選挙前大統領

ドワイト・D・アイゼンハワー
共和党選出大統領

ジョン・F・ケネディ
民主党

1960年アメリカ合衆国大統領選挙(1960ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1960)は、1960年11月8日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第44回)。ドワイト・D・アイゼンハワーの2期目の終わりを告げるものになった。アイゼンハワー政権の副大統領リチャード・ニクソンが大統領職に挑戦し、共和党大統領候補になった。

民主党マサチューセッツ州選出の上院議員ジョン・F・ケネディを候補に指名した。ケネディは大政党の候補者としては2人目のカトリック教徒だった(1人目は1928年民主党のアル・スミス)。選挙運動期間中、ケネディは、アイゼンハワーと共和党の下でアメリカは軍事的にも経済的にも冷戦中のソビエト連邦に後れを取っていると批判し、大統領になれば「アメリカを再度始動させる」と主張した。ニクソンはこれに応えて、もし当選すれば、アイゼンハワーがこの国にもたらした「平和と繁栄」を継承し、アメリカが冷戦に対応するためにはケネディでは若すぎて経験不足であり大統領を任せられないと主張した。結果、選挙人選挙では1916年以来となる接戦となり、一般投票でもケネディとニクソンの得票率差はアメリカの大統領選挙史の中で最小となった。この1960年選挙は、歴史家の間で特定の州におけるマフィア絡みの選挙違反がケネディの勝利を助けたことについて議論の的になり続けているものでもある。この選挙にはアラスカ州ハワイ州がそれぞれ前年の1月3日と8月21日に州昇格を果たし、初めて選挙に参加したものでもあった。
候補者の指名
民主党の指名

民主党の大統領指名候補者

ジョン・F・ケネディ、マサチューセッツ州選出アメリカ合衆国上院議員

リンドン・ジョンソン、アメリカ合衆国上院院内総務テキサス州出身

ヒューバート・H・ハンフリーミネソタ州選出アメリカ合衆国上院議員

アドレー・スティーブンソン、元イリノイ州知事

スチュアート・サイミントンミズーリ州選出アメリカ合衆国上院議員

1960年民主党大統領候補者選びには多くの政治指導者達が候補に挙がった。しかし、ケネディ、テキサス州のリンドン・ジョンソン、ミネソタ州のヒューバート・H・ハンフリー、ミズーリ州のスチュアート・サイミントンの各アメリカ合衆国上院議員、および元イリノイ州知事のアドレー・スティーブンソン[2]を除けば、指名獲得の実際的なチャンスが無い地域的な「お気に入り」候補者に過ぎなかった。

ケネディは当初、何人かの民主党年長者(例えばサイミントンを支持する元大統領のハリー・S・トルーマン)から大統領になるには若すぎて経験が足りないという示唆によって批判されていた。これらの批判者は、ケネディが「より経験のある」民主党員の副大統領候補になるべきということを示唆していた。ケネディは、このことが大衆にケネディのことを真剣に考慮しないようにしておくための、その敵対者による戦略であることを認識し、率直に「私は副大統領候補に出馬するのではない、私は大統領候補として出馬するのだ」と声明を出した[3]

ケネディにとってより深刻な問題は彼がローマ・カトリック教徒だということだった。1928年の大統領選挙で民主党候補のアル・スミスが経験したことを想起すれば、多くの者はケネディが指名を獲得し11月の選挙で勝利する可能性は反カトリックの偏見で傷つけられるのではないかと危ぶんだ。ケネディはその集票能力を証明するために、ウィスコンシン州予備選挙で革新派の上院議員、ミネソタ州のヒューバート・H・ハンフリーに挑戦した。ウィスコンシン州ではケネディがハンフリーを破ったが、その票差はカトリック教徒の多い地域からのものが大半であったという事実によって、多くの党ボス達はケネディが非カトリック有権者から得票できるというアピールを信じなかった。ケネディは次にプロテスタントが圧倒的に多いウェストバージニア州でハンフリーと対決した。そこでは反カトリックの偏見が広く広まっていると言われていた。ハンフリーの選挙運動は資金が少なく、ケネディの組織化され資金の裏付けもとれた選挙対策チームと競合できなかった。ケネディの魅力的な兄弟姉妹が有権者を求めて州内を隈無く周り、ハンプリーをして「チェーンストアに対抗する独立系商人のように感じる」と愚痴をこぼさせた。予備選挙ではケネディが投票数の60%以上を獲得してハンフリーを破った。ハンフリーは指名争いから撤退し、ケネディはカトリック教徒でも非カトリックの州で勝利できることを党ボス達に証明するに必要とされた勝利を得た。民主党全国大会に先立つ数ヶ月間、ケネディは国中を回って様々な州の代議員の支持を取り付けるために説得に努めた。しかし、党大会が開催されたときには、ケネディはまだ指名を得るためには数十票足りなかった。

予備選挙の州ごとの勝者:

ケネディ

イリノイ州

インディアナ州

メリーランド州

マサチューセッツ州(出身州)

ニューハンプシャー州

ネブラスカ州

ペンシルベニア州

オレゴン州

ウェストバージニア州

ウィスコンシン州

ハンフリー

サウスダコタ州

コロンビア特別区

ブラウン

カリフォルニア州(出身州)


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