1959年の映画
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7月 - スペインの第7回サン・セバスティアン国際映画祭五所平之助監督『蟻の街のマリア』がカトリック賞受賞[10]

7月8日 - 第9回ベルリン国際映画祭黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』が銀熊賞 (監督賞)[9]と国際評論家連盟賞を受賞[11][注 2]。『裸の太陽』(家城巳代治監督)が青年映画賞を受賞[12]

8月 - 第1回モスクワ国際映画祭(英語版)で島耕二監督『いつか来た道』が審査員特別賞受賞[13][注 3]木村荘十二監督『千羽鶴』[14]が平和委員会特別賞受賞[13]

10月 - 日映新社の記録映画『花嫁の峰 チョゴリザ[15]、伊トレント国際山岳映画祭シャクナゲ賞(第2位)受賞[16]

月日不詳

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}三ばか大将の190作目にして最終作となる短編映画 Sappy Bull Fighters が製作される[要出典]。

前年1958年1月に米ソ文化交流協定(レイシー・ザルビン協定(英語版))が締結[17][1]。アメリカ映画『マーティ』とソビエト映画『戦争と貞操』が交換上映される[1]


日本

1月

1月14日 -
日本映画製作者連盟の映画製作部会、専属俳優のテレビ出演許可制を強化する[6][18]

1月15日 - 小林正樹監督『人間の條件 第一・二部』公開[1][19]

1月26日 - 東宝、撮影所現像課を分離し、キヌタ・ラボラトリーを設立[18]


2月

戦艦ポチョムキン』が自主上映方式で日本初公開[7]

2月1日 - 東京・NET(日本教育テレビ、現・テレビ朝日)開局[18]東映、NETに資本参加[7]

2月5日 - 東映テレビ・プロダクションを東映テレビ映画に商号変更[12]

2月18日 - 西ドイツミュンヘン日本映画週間に日本映画製作者連盟代表団団長として東宝・清水雅社長が出発[18]

2月21日 - 大阪梅田北野劇場、洋画ロードショー劇場としてリニューアルオープン、オープニング作品は『』(アナトール・リトヴァク監督)[16]


3月

日本映画監督協会新東宝による旧作品の無断改題と改竄(かいざん)に厳重抗議[6][20][7]

3月1日 - 大阪・毎日放送、東京・フジテレビ開局[18]

3月20日 - 大阪東映会館竣工開館、同会館収容の梅田東映劇場・梅田東映パラス劇場・梅田東映ホールも営業開始[12]

3月30日 - 黒澤プロダクション設立[6][18]


4月

4月1日 - 東宝配給の朝日ニュースが714号からシネスコ版になる[9]

4月11日 - 邦画5社、東映に対しテレビ映画の劇場配給中止を申し入れ[12]。4月20日、映連臨時総会で「テレビ映画の劇場配給は自由、劇場映画はテレビに提供しない」ことを確認[12]

4月28日

東映、30分のテレビ映画2本を編集した「特別娯楽版」を映画館に配給開始[12]

東宝、中央映画(外国映画輸入・配給)設立[16][7]。5月31日、東宝本社洋画部廃止、洋画配給業務を中央映画に業務移管[16]



5月

5月2日 - 松竹セレクト国際映画設立[16]

5月8日 -東映テレビ映画が第二東映に改称し、製作開始[12][7][6]

5月26日 - 1964年のオリンピック開催地が東京に決まる[9]


6月

大映、1本立大作主義興行を実施するが失敗し、3か月で撤退[6]。その後はレンガ式2本立て興行を実施[6]
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