1957年の西鉄ライオンズ
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1957年の西鉄ライオンズ
成績
日本一
日本S4勝1分(対巨人[1]
パシフィック・リーグ優勝
83勝44敗5分 勝率.654[2]
本拠地
都市福岡県福岡市
球場平和台野球場

球団組織
経営母体西日本鉄道
監督三原脩
≪ 19561958 ≫

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1957年の西鉄ライオンズでは、1957年の西鉄ライオンズにおける動向をまとめる。

このシーズンの西鉄ライオンズは、三原脩監督の7年目のシーズンであり、2年連続3度目のリーグ優勝、2年連続日本一を果たしたシーズンである。
概要

1954年の初優勝(日本シリーズ中日に敗退)、1955年南海とマッチレースの末2位と、浮き沈みが激しかったが、前年に三原監督の悲願だった「打倒巨人」がようやく実現した。三原体制7年目のチームは毎日・南海と7月まで三つ巴の戦いだったが、両球団に疲れが見え始めると徐々にゲーム差を広げていき、最終的に球団初の連覇を達成。日本シリーズは巨人のリベンジが予想されたが、平和台での2試合を1点差で勝利すると、舞台を後楽園球場に移した第3戦以降も1点差で勝利。第4戦は引き分けだったが、続く第5戦は中西太豊田泰光大下弘らが打ちまくって6対5で勝ち、日本シリーズ4連勝、そして2度目の日本一を敵地で達成した。投手陣は2年目の稲尾和久がチーム勝ち星の半分を稼ぐ35勝で最多勝、そして最優秀防御率、MVPも獲得した。打撃陣は円熟期の中西が打点王を獲得し、チームの柱となっていった。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1中高倉照幸
2一河野昭修
3遊豊田泰光
4三中西太
5右大下弘
6左関口清治
7二仰木彬
8捕日比野武
9投島原幸雄

1957年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位毎日--西鉄--南海--西鉄--西鉄--西鉄--西鉄--
2位西鉄1.0毎日2.0毎日1.0毎日2.0南海6.0南海5.0南海7.0
3位阪急1.0南海3.0西鉄3.0南海2.5毎日6.5阪急6.5毎日8.0
4位南海2.0阪急4.5阪急4.0阪急6.0阪急10.5毎日8.0阪急8.0
5位東映4.5東映6.5東映6.5東映7.5東映19.0東映20.5東映28.0
6位大映5.5大映13.0大映14.5大映14.5大映27.5近鉄35.5近鉄38.5
7位近鉄7.0近鉄近鉄20.0近鉄23.5近鉄35.5大映36.5大映43.5

1957年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
優勝西鉄ライオンズ83445.654---
2位南海ホークス78531.5957.0
3位毎日オリオンズ75525.5918.0
4位阪急ブレーブス71556.56311.5
5位東映フライヤーズ56733.43428.0
6位近鉄パールス44826.34938.5
7位大映ユニオンズ41892.31543.5

[2]
日本シリーズ

1957年 日本シリーズ日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月26日(土)第1戦読売ジャイアンツ2 - 3西鉄ライオンズ平和台球場
10月27日(日)第2戦読売ジャイアンツ1 - 2西鉄ライオンズ
10月28日(月)移動日
10月29日(火)第3戦雨天中止後楽園球場
10月30日(水)西鉄ライオンズ5 - 4読売ジャイアンツ
10月31日(木)第4戦西鉄ライオンズ0 - 0読売ジャイアンツ
11月1日(金)第5戦西鉄ライオンズ6 - 5読売ジャイアンツ
優勝:西鉄ライオンズ(2年連続2回目)

[1][3]
オールスターゲーム1957詳細は「1957年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照

選出選手及びスタッフ

ポジション名前選出回数
監督三原脩
投手河村英文4
稲尾和久
捕手和田博実
三塁手中西太5


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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