1957年の日本シリーズ
ゲームデータ
日本一
西鉄ライオンズ
2年連続2回目
4勝0敗1分
試合日程1957年10月26日-11月1日
最高殊勲選手大下弘
敢闘賞選手宮本敏雄
チームデータ
西鉄ライオンズ(パ)
監督三原脩
シーズン成績83勝44敗5分(シーズン1位)
読売ジャイアンツ(セ)
監督水原茂
シーズン成績74勝53敗3分(シーズン1位)
日本シリーズ ≪ 1956 1958 ≫
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1957年の日本シリーズ(1957ねんのにっぽんシリーズ、1957ねんのにほんシリーズ)は、1957年10月26日から11月1日まで行われた第8回プロ野球日本選手権シリーズである。セ・リーグ優勝チームである読売ジャイアンツ(巨人 - 水原茂監督)とパ・リーグ優勝チームである西鉄ライオンズ(西鉄 - 三原脩監督)の対戦である。後楽園球場と平和台球場で行われた。 「水原巨人」と「三原西鉄」の対決は、1956年?1958年の3年連続であったが、本シリーズは「2年目」にあたる。 西鉄が4勝0敗1引き分けで制したもので、その4勝はいずれも1点差であった。この「1点差4連勝」について、点差以上の力の差が両チームにあったという見方がなされている。なかでも、巨人の投手陣の不安定さ、広岡達朗が故障で欠場しがちであったことなどがあげられている[1][2]。 本シリーズは、引き分けを挟むが、4勝無敗で制された初のシリーズとなる(シリーズ4連勝は引き分けを挟まないストレート勝ちの場合は、その後2021年時点で7例[3])。引き分けを挟んでの4勝無敗優勝は、他に1975年の阪急ブレーブス(vs広島東洋カープ、2分け)がある。なお三原は、1960年に大洋ホエールズ監督として、「1点差ストレート4連勝」で日本シリーズを制している。 1957年 日本シリーズ [4] 10月26日 平和台球場 入場者数:23992人 巨人1000001002 ⇒公式記録関係(日本野球機構ページ) 10月27日 平和台球場 入場者数:24373人 巨人0000000011 [審判]セ島(球)パ横沢三、セ筒井、パ角谷(塁)セ小柴、パ浜崎(外) ⇒公式記録関係(日本野球機構ページ) 10月30日 後楽園球場 入場者数:30484人 西鉄0000022105 [審判]パ二出川(球)セ円城寺、パ角谷、セ小柴(塁)パ浜崎、セ筒井(外) ⇒公式記録関係(日本野球機構ページ) 10月31日 後楽園球場 入場者数:27649人(延長10回) 西鉄00000000000 [審判]セ島(球)パ横沢三、セ小柴、パ二出川(塁)セ円城寺、パ角谷(外) 巨人、西鉄ともに無得点で延長10回引き分けに終わった。 ⇒公式記録関係(日本野球機構ページ) 11月1日 後楽園球場 入場者数:30519人 西鉄1000140006
概要
試合結果
10月26日(土)第1戦読売ジャイアンツ2 - 3西鉄ライオンズ平和台球場
10月27日(日)第2戦読売ジャイアンツ1 - 2西鉄ライオンズ
10月28日(月)移動日
10月29日(火)第3戦雨天中止後楽園球場
10月30日(水)西鉄ライオンズ5 - 4読売ジャイアンツ
10月31日(木)第4戦西鉄ライオンズ0 - 0読売ジャイアンツ
11月1日(金)第5戦西鉄ライオンズ6 - 5読売ジャイアンツ
優勝:西鉄ライオンズ(2年連続2回目)
第1戦
西鉄00010110X3
(巨)義原、藤田、●大友(1敗)、木戸、別所 - 藤尾、森
(西)○稲尾(1勝) - 和田
本塁打
(西)豊田1号ソロ(6回義原)
第2戦
西鉄000000002x2
(巨)●堀内(1敗)、藤田 - 藤尾、森
(西)○河村(1勝)- 和田
本塁打
(巨)宮本1号ソロ(9回河村)
第3戦
巨人2000000204
(西)○稲尾(2勝)- 和田
(巨)●義原(1敗)、堀内、藤田 - 藤尾
本塁打
(西)大下1号2ラン(6回義原)、関口1号ソロ(8回藤田)
(巨)与那嶺1号ソロ(1回1点稲尾)、宮本2号2ラン(8回稲尾)
第4戦
巨人00000000000
(西)河村、島原、- 日比野、和田
(巨)木戸、堀内 - 藤尾、森
第5戦
巨人0010200205
(西)若生、西原、河村、○島原(1勝) - 和田
(巨)別所、藤田、●木戸(1敗)、義原 - 森、藤尾
本塁打
(西)和田1号ソロ(5回藤田) 和田2号3ラン(6回義原)
(巨)十時1号ソロ(3回若生)、川上哲1号ソロ(8回河村)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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