1957年の
FIMロードレース世界選手権
前年:1956翌年:1958
1957年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第9回大会である。5月にドイツのホッケンハイムで開幕し、イタリア・モンツァで開催された最終戦まで、全6戦で争われた。 1957年は前年と同じく全6戦で争われたが、ドイツGPの舞台が初めてホッケンハイムリンクとなった。 前年同様に全クラスをイタリアのメーカーのマシンが制したが、MVアグスタが350cc以外の全クラスを支配した前年から勢力図は大きく変わった。500ccクラスではMVアグスタのマシンが信頼性に問題を抱えている間にジレラが巻き返し、250ccクラスではモンディアルが圧勝、125ccクラスでもモンディアルがMVアグスタとの接戦を制した。しかし、これら大小のイタリアンメーカーが群雄割拠した時代はこのシーズンで終わることになる。各クラスでタイトルを獲得したジレラ、モト・グッツィ、モンディアルがロードモデルの販売低下を理由にこのシーズンをもってグランプリから撤退することを決定したのである。MVアグスタも当初はこの3社に同調していたが後に撤回した[1][2]。このためにMVアグスタには有力なライバルがいないという状況となり、特に大排気量クラスのワークスチームはMVアグスタのみという状態が翌年からしばらく続くことになった。 また、マシンのほぼ全体を覆うダスドビン・フェアリングはこの年限りで禁止となった[3]。 ディフェンディングチャンピオンのジョン・サーティースはMVアグスタの信頼性不足に悩まされ、オランダでの1勝しか挙げられなかった。一方、エースのジェフ・デュークがシーズン前のイモラでの怪我によってシーズン前半の出場が絶望的になったジレラだったが、残ったリベロ・リベラーティとボブ・マッキンタイヤが開幕2戦で1勝ずつ挙げてデュークの穴を埋めた[1]。開幕戦のドイツではリベラーティがグランプリで初めて平均速度200km/h以上で優勝し、マン島50周年記念レースとなった第2戦ではマッキンタイヤが初の「オーバー・ザ・トン」(1周の平均速度が100mph以上)を記録している。ベルギーではリベラーティが1位でゴールしたものの、レース直前のマシン変更をオフィシャルに通知していなかったことが問題となり失格となってしまった。しかしリベラーティはその後の終盤2戦で勝利し、初のタイトルを獲得した[4][5]。なお、シーズン終了後の裁定でベルギーの結果は再び覆され、リベラーティの勝利が認められている。MVアグスタの6気筒プロトタイプ モト・グッツィのV8エンジンは新設計のクランクシャフトを得てようやく戦闘力と信頼性を獲得し始めた。ディッキー・デイルが開幕から2戦連続で4位入賞し、ベルギーではキース・キャンベルがバッテリーのトラブルで戦列を離れるまではラップレコードを更新しながらトップを快走した[6]。
シーズン概要
500ccクラス