1956年アメリカ合衆国大統領選挙
[Wikipedia|▼Menu]

1956年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1956

1952年 ←
1956年11月6日
→ 1960年


投票率60.6%[1] 2.7%
 
候補者ドワイト・D・アイゼンハワーアドレー・スティーブンソン
政党共和党民主党
出身地域ニューヨーク州イリノイ州
副大統領候補者
リチャード・ニクソン
エステス・キーフォーヴァー
獲得選挙人45773
勝利地域数417
得票数35,579,18026,028,028
得票率57.4%42.0%


州別獲得選挙人分布図
.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  アイゼンハワー   スティーブンソン   ジョーンズ

選挙前大統領

ドワイト・D・アイゼンハワー
共和党選出大統領

ドワイト・D・アイゼンハワー
共和党

1956年アメリカ合衆国大統領選挙(1956ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1956)は、1956年11月6日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第43回)。人気のある現職大統領ドワイト・D・アイゼンハワー共和党)が再選を果たした。また、アイゼンハワーが4年前1952年の選挙で破った民主党候補者アドレー・スティーブンソンとの再戦となった。

アイゼンハワーは人気があったものの、その健康問題が静かな問題になっていた。スティーブンソンは民主党革新派の中核で人気を保っていたが、役職経験がなく、実質的な基盤がなかった。スティーブンソン(およびアイゼンハワー)は公民権問題をほとんど無視した。アイゼンハワーは朝鮮戦争を終わらせ、国は繁栄し、カリスマ的要素でその大勝を疑う者はいなかった。
候補者の指名
共和党の指名

1956年が始まると、アイゼンハワーの健康状態が危ぶまれたために、2期目に出馬しないのではないかという憶測が流れた。1955年、アイゼンハワーは重篤な心筋梗塞を味わい、1956年早々には回腸炎の手術も受けた。しかし、どちらの出来事の後も迅速に快復し、専属医師のお墨付きを得た後に2期目の出馬を決心した。「アイク」は大きな人気があったので、サンフランシスコで開催された1956年の共和党全国大会でも反対無く再指名された。

共和党の中で唯一の疑問は、現職副大統領のリチャード・ニクソンが再度アイゼンハワーの副大統領候補になるかということだった。アイゼンハワーは、マサチューセッツ州知事クリスティアン・ハーターのような党派色が少なく論議も少ない者を好む証拠があり、歴史家(例えばスティーヴン・アンブローズ)数人に拠れば、アイゼンハワー自らはニクソンに国防長官のような別の閣僚職を提案したと言われている。しかし、ニクソンの副大統領候補再指名に表立って反対するのはハロルド・スタッセンのみであり、ニクソンは共和党一般有権者の間では高い人気を保っていた。ニクソンはまた、副大統領のあり方を改革しており、共和党が強い州や国中の地方候補者の選挙綱領としてそれを表に出し、これら候補者達がニクソンの防衛に回った。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:58 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef