1956年の阪急ブレーブス
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1956年の阪急ブレーブス
成績
パシフィック・リーグ3位
88勝64敗2分 勝率.579
[1]
本拠地
都市兵庫県西宮市
球場阪急西宮球場

球団組織
オーナー小林一三
経営母体京阪神急行電鉄
監督西村正夫
≪ 19551957 ≫

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1956年の阪急ブレーブスでは、1956年の阪急ブレーブスの動向をまとめる。

この年の阪急ブレーブスは、第2次西村正夫監督体制の3年目(通算7年目)のシーズンである。
概要

ロベルト・バルボンが入団した前年は4位ながらも貯金20とまずまずで、チームはこの年こそ優勝が期待された。

契約解禁直後に阪急と契約締結した期待の新人・米田哲也が地元後援者の説得により大阪タイガースとも契約し、シーズン開幕前に米田についての二重契約問題が浮上した。コミッショナーに就任したばかりの元最高裁判所判事の井上登が「先に契約した阪急が優先される」という裁定を下し、米田は阪急に入団した[2]。米田は、先輩の梶本隆夫阿部八郎柴田英治種田弘らと強力にローテーションを形成し、投手陣の厚くなったチームは開幕直後に7連勝するなど4月を14勝11敗で終えた。5月を10勝8敗で乗り切ると6月13日から驚異の10連勝し、7月にも6連勝するなど6・7月で33勝14敗と貯金19を稼ぐが、8月6日からの2週間で2勝10敗と大きく負け越して優勝争いから脱落した。9月以降は負けが込んだが、5位の近鉄などを突き放して貯金24の3位でシーズン終了した。チームは優勝の西鉄に12勝9敗1分、4位の毎日に14勝8敗と勝ち越したが前年優勝の南海に8勝13敗1分と負け越し、さらにBクラスの近鉄・東映にも苦戦を強いられた(近鉄に11勝11敗、東映に10勝12敗)。毎年恒例の夏場の息切れで優勝できなかったのが響き、西村監督は辞任した。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1二バルボン
2遊河野旭輝
3中渡辺清
4右戸倉勝城
5捕木織武美
6一岡本健一郎
7左常見昇
8投梶本隆夫
9三増田浩

1956年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位南海--毎日--南海--南海--南海--西鉄--西鉄--
2位毎日0.5南海0.5西鉄阪急1.5西鉄4.0南海0.0南海0.5
3位西鉄2.5西鉄2.0毎日2.0西鉄3.5阪急7.0阪急9.0阪急10.5
4位近鉄3.0阪急6.0阪急2.5毎日7.0毎日11.5毎日12.0毎日13.5
5位阪急4.0近鉄10.5近鉄18.5近鉄19.0近鉄22.0近鉄27.5近鉄29.5
6位高橋10.5東映13.0東映21.5東映25.0東映34.0東映36.5東映39.5
7位東映11.5大映17.5高橋23.0高橋29.5大映40.5大映41.0大映41.0
8位大映12.0高橋18.5大映24.5大映30.5高橋41.0高橋46.0高橋45.5

1956年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
優勝西鉄ライオンズ96517.653---
2位南海ホークス96526.6490.5
3位阪急ブレーブス88642.57910.5
4位毎日オリオンズ84664.56013.5
5位近鉄パールス68824.45329.5
6位東映フライヤーズ58924.38739.5
7位大映スターズ57943.37741.0
8位高橋ユニオンズ52984.34745.5

オールスターゲーム詳細は「1956年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照

ファン投票選出なし
監督推薦梶本隆夫米田哲也山下健戸倉勝城

できごと
選手・スタッフ

 阪急ブレーブス 1956
監督

30 西村正夫

一軍コーチ

40 井野川利春

50 伊達正男

二軍コーチ

60 酒沢成治

70 天保義夫

投手

12 柴田英治

13 蔵文男

14 阿部八郎

15 種田弘

16 原田孝一


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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