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1956年の日本シリーズ
1956年の日本シリーズ制覇し、祝杯。豊田泰光(左)稲尾和久(中央)三原脩(右)
ゲームデータ
日本一
西鉄ライオンズ
初優勝
4勝2敗
試合日程1956年10月10日-10月17日
最高殊勲選手豊田泰光
敢闘賞選手稲尾和久
チームデータ
西鉄ライオンズ(パ)
監督三原脩
シーズン成績96勝51敗7分
(シーズン1位)
読売ジャイアンツ(セ)
監督水原茂
シーズン成績82勝44敗4分
(シーズン1位)
日本シリーズ ≪ 1955 1957 ≫
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1956年の日本シリーズ(1956ねんのにっぽんシリーズ、1956ねんのにほんシリーズ)は、1956年10月10日から10月17日まで行われた第7回プロ野球日本選手権シリーズである。2年連続セ・リーグを制した水原茂監督率いる読売ジャイアンツと2年ぶりパ・リーグを制した三原脩監督率いる西鉄ライオンズとの対決となり、10月に後楽園球場と平和台球場で行われた。 日本シリーズ前、水原監督と三原監督は出身が香川県と同郷である事、中等学校(現・高等学校)、大学、プロ野球を通じ、長い間お互いライバル関係であった事から、メディアは魔術師・三原と勝負師・水原の2人の戦いは剣豪・宮本武蔵と佐々木小次郎を例えた『巌流島の決闘』と称された[1]。 この両チームの対戦は、本シリーズの後、1957年、1958年と続いた。 1956年 日本シリーズ [2] 10月10日 後楽園球場 入場者数 24,632人 西鉄0000000000 [審判]セ島(球)パ上田、セ円城寺、パ苅田(塁)セ津田、パ横沢三(外) 後楽園球場で迎えた第1戦、巨人打線が西鉄の先発、川崎徳次の立ち上がりを攻めて2点先制した。2回裏西鉄は、リリーフの西村貞朗が登板したが、連打で2点奪った。対する西鉄は巨人の先発大友の前に打線が沈黙し、4-0と巨人が初戦を制した。 ⇒公式記録関係(日本野球機構ページ)
概要
試合結果
10月10日(水)第1戦西鉄ライオンズ0 - 4読売ジャイアンツ後楽園球場
10月11日(木)第2戦西鉄ライオンズ6 - 3読売ジャイアンツ
10月12日(金)移動日
10月13日(土)第3戦読売ジャイアンツ4 - 5西鉄ライオンズ平和台球場
10月14日(日)第4戦読売ジャイアンツ0 - 4西鉄ライオンズ
10月15日(月)第5戦読売ジャイアンツ12 - 7西鉄ライオンズ
10月16日(火)移動日
10月17日(水)第6戦西鉄ライオンズ5 - 1読売ジャイアンツ後楽園球場
優勝:西鉄ライオンズ(初優勝)
第1戦
巨人22000000X4
(西)●川崎(1敗)、西村、島原、稲尾 - 日比野、和田、久保山
(巨)○大友(1勝) - 藤尾