1956年の大洋ホエールズ
成績
セントラル・リーグ6位
43勝87敗 勝率.331[1]
本拠地
都市神奈川県川崎市
球場川崎球場
球団組織
オーナー中部謙吉
経営母体大洋漁業
監督迫畑正巳
≪ 19551957 ≫
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1956年の大洋ホエールズでは、1956年の大洋ホエールズの動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは、迫畑正巳監督の1年目のシーズンである。 1953年の松竹ロビンスとの合併以降成績が下降気味になったチームは1955年に黎明期のプロ野球を支えた藤井勇監督でも低迷を救えず31勝99敗のワースト敗戦(この記録は1961年に近鉄が更新)に終わり、藤井監督が辞任して選手に戻るハプニングで、急遽迫畑監督が就任。この年は1960年初優勝時の主力となる秋山登・土井淳・沖山光利など「明大五人男」が入団。ホエールズ誕生以来の主力選手に衰えが見えたチームの中で、秋山は1年目からローテに入りチームの勝ち星の大半を稼ぐも、その一方で打線の援護に恵まれず、1953年の新人王・権藤正利は前年から続いた連敗を28連敗まで更新するなど、投手陣の好投に打線が応えられない試合が続いた。投手陣はリーグ3位の50完投を記録し、チーム防御率も3.15まで改善された。打撃陣はチーム本塁打がリーグ2位を記録したが、打率・盗塁がリーグ最下位。最終的に借金は前年の68から半減したものの優勝の巨人に40ゲーム以上、4位の国鉄に20ゲームも離されて3年連続の最下位に沈み、前年から続いた中日戦の連敗が26連敗でストップしたのが明るい話題だった。 開幕オーダー1左沖山光利 1956年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績 1956年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝敗分勝率差 [1] ファン投票青田昇 大洋ホエールズ 1956 30 迫畑正巳
概要
チーム成績
レギュラーシーズン
2二引地信之
3右青田昇
4一藤井勇
5三手塚耀朗
6捕目時春雄
7中中島執
8遊岩岡保宏
9投江田孝
1位大阪--巨人--巨人--巨人--大阪--巨人--巨人--
2位中日1.0大阪1.0中日1.5大阪2.0巨人2.0大阪1.5大阪4.5
3位巨人2.0中日1.0大阪4.0中日5.5中日5.5中日4.0中日10.0
4位広島3.0国鉄7.5国鉄9.0国鉄11.5国鉄13.0国鉄15.5国鉄21.0
5位国鉄4.0広島9.0大洋13.0広島16.5広島21.5広島28.0広島37.5
6位大洋5.0大洋11.5広島14.5大洋18.5大洋24.0大洋32.0大洋41.0
1位読売ジャイアンツ82444.651優勝
2位大阪タイガース79501.6124.5
3位中日ドラゴンズ74560.56910.0
4位国鉄スワローズ61654.48421.0
5位広島カープ45823.35437.5
6位大洋ホエールズ
オールスターゲーム詳細は「1956年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
監督推薦秋山登土井淳
できごと
4月26日 - 飯田で行われた大洋対中日8回戦で大洋が中日に5-2で勝利し、中日戦の連敗を26で止める[2]。
5月6日 - 青田昇が川崎球場での対広島戦ダブルヘッダー第1試合の6回戦の8回裏に6号2点本塁打、第二試合の9回戦の第1打席から第3打席にかけて本塁打を放ち、プロ野球新記録の4打席連続本塁打を記録[3]。
選手・スタッフ
監督
コーチ
40 宮崎剛
50 有村家斉
投手
2 杉川喜久雄
8 神田昌男
10 小林経旺
14 大石正彦
15 江田孝
16 高野裕良
17 秋山登
18 権藤正利
27 服部茂次
29 関口正巳
30 迫畑正巳