1956年の
FIMロードレース世界選手権
前年:1955翌年:1957
1956年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第8回大会である。6月にマン島TTで開幕し、イタリア・モンツァで開催される最終戦まで全6戦で争われた。 フランスとベルギーがカレンダーから外れたためにこの年の世界選手権は全6戦となったが、初めて全ての大会で全クラスのレースが開催されたシーズンでもあった。ドイツGPの開催地は未だ定まっておらず、前年のニュルブルクリンクから再びソリチュード
シーズン概要
この年はイタリアン・メーカーのグランプリ支配が始まったシーズンだった。この年以降、1960年代に入って日本製のマシンが台頭してくるまで、全クラスをイタリア製マシンが制することになる。イタリアン・メーカーの中でも一歩抜きん出たのはMVアグスタで、開幕2戦のジレラの欠場にも助けられたとは言え、元々得意だった125・250ccクラスに加えて念願の500ccクラスタイトルを手に入れた。特に第3戦のベルギーでは全クラス優勝という偉業を成し遂げている[1]。もうひとつのイタリアン・メーカーのモト・グッツィは、熟成された350cc単気筒マシンが今シーズンも健在で1953年以来のタイトルを守り続けた一方、500ccクラスには革新的なV8エンジンのマシンを走らせたが、時折速さを見せるものの信頼性不足で完走もままならない状態が続いていた[2][3]。イタリア勢以外では、ドイツのBMWが満を持してこの年から500ccクラスに燃料噴射装置付きのマシンでフル参戦を開始した[1]。
500ccクラスMVアグスタ500
前年のダッチTTでのボイコット騒動の影響でチャンピオンであるジレラのジェフ・デュークと2位のレグ・アームストロングが欠場せざるを得なくなった開幕戦マン島で、この年からMVアグスタと契約したジョン・サーティースが500ccクラス初優勝を飾り、サーティースはそのままの勢いで3連勝した。一方第3戦のベルギーで復帰したジレラだったが、このレースではデュークが一時トップを走りながらトラブルでリタイヤに終わった[4]。第4戦ドイツでサーティースは350ccクラスでのアクシデントで腕を骨折してしまい、シーズン後半戦を欠場せざるを得なくなる[5]。このレースではアームストロングが勝利してジレラが一矢を報いたが、次戦のアルスターGPでランキング2位のワルター・ツェラー
がリタイヤとなったために欠場中のサーティースが初タイトルを決めた[4][6]。デュークは最終戦のイタリアでの優勝が今シーズン唯一のポイント獲得に終わった。フル参戦を開始したBMWは、優勝こそできなかったもののワルター・ツェラーが度々表彰台に上がる速さを見せ、ランキング2位を獲得した。また、アルスターGPではジョン・ハートルがノートンに2年ぶりの勝利をもたらしている[4]。 この年も350ccクラスはモト・グッツィの水平単気筒エンジンのマシンが飛び抜けて速く、開幕からケン・カバナ、ビル・ロマスとモト・グッツィのライダーが連勝した。第3戦のベルギーではジョン・サーティースがMVアグスタにとって、また4気筒エンジンのマシンにとっても350ccクラスでの初となる勝利をもたらしたが、そのサーティースは第4戦ドイツの8週目にクラッシュし、腕を骨折する重傷を負ってしまう[4]。
350ccクラス