1955年の映画
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2月10日 - 東京・丸の内東宝劇場オープン、オープニング作品はイタリア映画『高校三年』[25]ルチアーノ・エンメル監督)[2]

2月27日 - 東映、片岡千恵蔵の代表作『血槍富士』(内田吐夢監督)公開[26][22]


3月

3月16日 - 東映、大映から賃借中の京都撮影所の土地・建物を約6700万円で買収[16]

3月28日 - 大阪東映劇場・大阪東映地下劇場オープン[16]


4月

4月1日 - 東京放送(TBS)開局[2]

4月22日 - 東京現像所設立[27][28][2]


5月

日活、国産のコニカラーによる色彩映画第1回作品『緑はるかに』(井上梅次監督)公開[29]

映画倫理規程管理委員会に青少年映画委員会発足[1]

5月9日 - シンガポールで開催される第2回アジア映画祭出席のため、三船敏郎久慈あさみ等が出発[2]

5月30日 - 大蔵省、天然色フィルム免税措置1年延長を通達[30]


6月

6月1日 - 20世紀FOX日本支社、自社開発「シネマスコープ」の名称を他社が使用することを禁止する[30]

6月3日 - 日伊合作の東宝映画『蝶々夫人』公開[27][31]

6月19日 - NHKラジオ番組『時の動き』[32]の中で大部屋映画女優を売春婦と見なすような放送内容が波紋を起こす[27][3]。7月3日、この騒動に関係する、映連、俳優協会、映演総連全映演、NHKの5団体が共同声明発表、円満解決[30]


7月

7月1日 - 東宝、帝国劇場を吸収合併[27][3]

7月2日 - 映画セールスマン倶楽部連盟発足[3]

7月13日 - 東京・日比谷スカラ座東京宝塚劇場の4階)が新築オープン、オープニング作品は『戦略空軍命令』(松竹東京劇場と同時公開)[30][3]

7月19日 - 興連、〔配給〕各社に不燃性フィルムの全面的使用を要望[27][3]

7月21日 - 名古屋東映劇場・名古屋東映地下劇場オープン[16]


8月

8月2日 - 東宝、日本共産党書記長徳田球一の死亡報道を扱った朝日ニュース521号を忌避して同ニュースの配給中止を発表、それに対し、朝日新聞社が抗議[30]。 両社協議し合意成立、6日、朝日ニュースの配給再開[30]

8月11日 - 五社協定の1年延長決議[27][3]

8月12日 - 東京・日劇ニュース劇場がリニューアル・オープン[3]


9月

桜映画社創立[1][33]

学研映画部発足[1][34]

9月1日 - MGM映画『暴力教室』に対して、教育団体からクレームや高校生以下観覧禁止などの上映禁止運動が起きる[1][27][3]。アメリカ・メジャー各社が映倫に参加しないことに対し非難が集中[1]

9月20日 - 東宝、小林冨佐雄社長就任[35][注 3]

9月23日 - 映画審議会、内閣に設置[27][1][35]


10月

10月3日 - テレビの受信契約数が10万を突破[18]

10月13日 - 通産省、邦画各社に国産カラーフィルムの積極的使用を要請する[30][27][注 4][35]


11月

11月1日 - 東京・池袋東宝劇場がオープン[35]

11月8日 - 邦画6社長会議で上映時間2時間30分制限に各社が協力を約束する[27][35]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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