1955年全米選手権_(テニス)
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1955年 全米選手権(1955ねんぜんべいせんしゅけん)に関する記事。
概要

男子ダブルスで、日本ペアの宮城淳加茂公成組が日本勢としては1934年ウィンブルドン選手権以来11年ぶりのグランドスラム優勝を果たした。これは日本人選手による最初の全米選手権タイトルであると同時に、「日本人選手同士のペアで獲得した」初のグランドスラム優勝であり、現在も唯一の優勝である。また、現在日本人男子最後のグランドスラム優勝でもある。次に日本人がグランドスラム優勝を果たすのは20年後の1975年ウィンブルドン選手権のことである。
大会の流れ

1881年から1967年まで、全米選手権は各部門が個別の名称を持ち、大会会場も別々のテニスクラブで開かれた。これが他の3つのテニス4大大会と大きく異なる点である。

男子シングルス 名称:全米シングルス選手権(U.S. National Singles Championship)/会場:ニューヨーククイーンズ区フォレストヒルズ、ウエストサイド・テニスクラブ (1924年-1977年

女子シングルス 名称:全米女子シングルス選手権(U.S. Women's National Singles Championship)/会場:フォレストヒルズ、ウエストサイド・テニスクラブ (1921年-1977年

男子ダブルス 名称:全米ダブルス選手権(U.S. National Doubles Championship)/会場:マサチューセッツ州ボストン市、ロングウッド・クリケット・クラブ (1946年-1967年まで)

女子ダブルス 名称:全米女子ダブルス選手権(U.S. Women's National Doubles Championship)/会場:ボストン、ロングウッド・クリケット・クラブ (1946年-1967年まで)

混合ダブルス 名称:全米混合ダブルス選手権(U.S. Mixed Doubles Championship)/会場:フォレストヒルズ、ウエストサイド・テニスクラブ (1942年-1977年


1967年までは、男子ダブルス・女子ダブルスの2部門がボストンの「ロングウッド・クリケット・クラブ」で開かれ、他の3部門(男女シングルス・混合ダブルス)はフォレストヒルズで行われた。

男女シングルスのシード選手は「アメリカ人シード選手」と「外国人シード選手」が別々に選ばれたが、1955年を最後にこの方式が廃止された。

シード選手
男子シングルス

(アメリカ人シード選手:8名)
 トニー・トラバート (優勝、2年ぶり2度目)

 ビック・セイシャス (ベスト4)

 ハミルトン・リチャードソン (ベスト8)

 ギルバート・シー (1回戦)

 エディ・モイラン (4回戦)

 アーサー・ラーセン (4回戦)

 バーナード・バーツェン (ベスト8)

 ハーバート・フラム (ベスト8)

(外国人シード選手:8名)
 ケン・ローズウォール (準優勝)

 ルー・ホード (ベスト4)

 クルト・ニールセン (3回戦)

 レックス・ハートウィグ (4回戦)

 ニコラ・ピエトランジェリ (3回戦)

 エンリケ・モレア (4回戦)


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