1955年の中日ドラゴンズ
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1955年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ2位
77勝52敗1分 勝率.597
[1]
本拠地
都市愛知県名古屋市
球場中日スタヂアム

球団組織
オーナー小山龍三
経営母体中日新聞社
監督野口明(選手兼任)
≪ 19541956 ≫

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1955年の中日ドラゴンズ(1955ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1955年の中日ドラゴンズにおける動向を述べる。

この年の中日ドラゴンズは、野口明選手兼任監督の1年目のシーズンである。
概要

1954年のリーグ優勝&日本一達成を機に、天知俊一前監督が突然の辞任。天知前監督の後を継いで野口兼任コーチが昇格したこの年は投手陣に杉下茂石川克彦伊奈努などが控えるなど、チーム防御率2.02はリーグ2位、打撃陣でも4番の西沢道夫杉山悟本多逸郎などが控えており、また野口監督の就任により河合保彦が正捕手の座をつかむなど初優勝時のメンバーは健在だった。チームは4月を首位の阪神巨人に次ぐ3位と健闘し、7月終了時点では5.5ゲーム差につけて首位奪取が期待された。しかし、8月に入ると投打の歯車がかみ合わなくなり最終的にラストスパートの巨人に突き放され、15ゲーム離されて2位に終わった。投手陣は前年MVPの杉下が26勝、2番手エースの石川が17勝、徳永喜久夫が12勝をあげるなど2ケタ勝利3人を出し、チーム防御率は2.02の2位で、被本塁打も48本でリーグ最少。打撃陣は前年打点王の杉山悟前年の日本シリーズで頭部に死球を受けた影響から不振に陥り、チームトップの19本塁打を記録するも打点数が減少。それでも1番の本多が盗塁王を獲得し、児玉利一井上登が打率ベスト10に入るなど健闘した。カード別では最下位の大洋と相性がよく、6月28日から同一カード19連勝、さらに翌年4月まで7連勝を記録するなど2年越しの26連勝を記録した。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1中本多逸郎
2遊岡嶋博治
3一西沢道夫
4左杉山悟
5三児玉利一
6右原田督三
7二井上登
8捕河合保彦
9投石川克彦

1955年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位大阪--巨人--巨人--巨人--巨人--巨人--巨人--
2位巨人0.0中日3.5大阪9.0中日5.5中日7.5中日15.5中日15.0
3位中日0.5大阪6.0中日9.0大阪14.5大阪17.5大阪18.5大阪20.5
4位国鉄4.0国鉄10.0国鉄17.0国鉄21.5国鉄25.5広島32.0広島33.5
5位大洋4.0大洋12.0広島23.0広島23.5広島28.5国鉄32.5国鉄34.5
6位広島6.5広島13.5大洋26.0大洋35.0大洋46.0大洋53.0大洋61.5


1955年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ92371.713優勝
2位中日ドラゴンズ77521.59715.0
3位大阪タイガース71572.55520.5
4位広島カープ58702.45333.5
5位国鉄スワローズ57712.44534.5
6位大洋ホエールズ31990.23861.5

[1]
オールスターゲーム1955詳細は「1955年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照

コーチ野口明
ファン投票選出なし
監督推薦杉下茂河合保彦児玉利一西沢道夫杉山悟原田徳光

できごと
選手・スタッフ

 中日ドラゴンズ 1955
監督

30 野口明(選手兼任)

一軍コーチ

63 藤田省三

二軍監督・コーチ

31 宮坂達雄(監督)

32 近藤貞雄

70 塚越正宏

投手

10 服部受弘(コーチ兼任)

11 石川克彦

16 大島信雄

17 伊奈勉

18 空谷泰

19 大矢根博臣

20 杉下茂

23 紀藤広光

24 浮州重紀


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