1954年のFIAフォーミュラ1
世界選手権
前年:1953翌年:1955
一覧: 開催国 。開催レース
1954年のF1世界選手権
1954年のF1世界選手権(1954ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第5回大会である。1月17日のアルゼンチンで開幕し、10月24日のスペインにおける最終戦まで全9戦で争われた。ファン・マヌエル・ファンジオがマセラティおよびメルセデスをドライブしてそれぞれ勝利し、タイトルを獲得した。フロイラン・ゴンザレスがシーズン2位となり、アルゼンチン人ドライバーが1位、2位を占めた。 レギュレーションが2.5リッター自然吸気エンジンへ変更され、メルセデスが第二次世界大戦以来再び参入した。フランスグランプリにW196[1] を投入し、ファンジオとカール・クリングが1-2フィニッシュを達成する。ファンジオは序盤2戦をマセラティで制し、メルセデス移籍後すぐにフランスグランプリも制した。流線型ボディはシルバーストンには不適当であったが、メルセデスはニュルブルクリンクのために戦闘力のあるボディを仕上げ、ファンジオは残る4戦中3戦を制した。 前シーズンタイトルを獲得したアルベルト・アスカリはランチアに移籍したものの、失敗に終わった。ランチアのD50は選手権を戦う準備が出来ておらず、それはアスカリがタイトル防衛の戦いに加われないことを意味した。 ポイントは1位から5位まで順に 8, 6, 4, 3, 2 が与えられ、ファステストラップにも1ポイントが与えられた。全9戦の内ベスト5戦がポイントランキングに数えられた。同一車両をドライブしたドライバーには、ラップ数の多寡にかかわらずポイントが等分された。 ラウンドレースサーキット開催日ポールポジションファステストラップ優勝者コンストラクタータイヤレポート
シーズン概要
開催地及び勝者
1 アルゼンチングランプリブエノスアイレス1月17日 ジュゼッペ・ファリーナ フロイラン・ゴンザレス ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティP詳細
2 インディ500インディアナポリス5月31日 ジャック・マクグラス
チームコンストラクターシャシーエンジンタイヤドライバー出場ラウンド
オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティマセラティ250F