1953年の政治
自由党199議席、改進党76議席、左派社会党72議席、右派社会党66議席、鳩山自由党35議席、労農党5議席、共産党1議席、諸派1議席、無所属11議席。
4月24日 - 第3回参議院議員通常選挙。
自由党46議席、左派社会党18議席、緑風会16議席、右派社会党10議席、改進党8議席。
5月第5次吉田内閣組閣(昭和28年5月21日撮影)。
5月1日 - 改進党中央常任委員会開催。「重光葵総裁を首班か、しからずんば野党」という野党派の主張が通る。
5月18日
旧二級国道が施行。
第16特別国会召集(8月10日閉会)。
首班指名選挙決選投票で吉田茂自由党総裁が内閣総理大臣に指名される。
5月20日
鎌倉モリソン屋敷で吉田・重光会談。吉田首相は重光総裁に連立を申し入れ。重光は連立を拒否するものの、改進党は閣外協力に傾く。
第5次吉田内閣成立。
6月
6月2日 - 政府、石川県河北郡内灘村(現在の内灘町)に無期限使用の米軍試射場設置決定を発表。内灘闘争開始。
6月13日 - 内灘問題で農民の座り込み開始。
6月16日 - 東ベルリン暴動勃発。
6月17日 - 前日から東ベルリンで起きていた、市民による反東ドイツ政府デモがソ連軍に弾圧される(6月17日事件)。
6月18日
エジプトで王制の廃止を宣言され、エジプト共和国が成立。
アメリカ空軍のC-124輸送機が東京都小平市に墜落、129名の死者を出す。
6月19日 - ローゼンバーグ夫妻処刑(ローゼンバーグ事件)。
6月26日 - 相互安全保障条約(MSA)協定に関する質問書と米国政府回答書を発表。
6月30日 - MSA締結を閣議決定。
6月 - エジプト共和国宣言発表。
7月
7月6日 - 日比両政府、モンテンルパ刑務所に収監されていた日本人戦犯106名の減刑・釈放に合意。
7月26日 - モンカダ兵営を襲撃したキューバ革命記念日。
7月27日 - 朝鮮戦争の休戦成立。
7月 - ラヴレンチー・ベリヤ・ソ連第一副首相兼内相が逮捕される。
8月
8月7日 - 電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律(スト規正法)公布施行。
8月8日 - 米韓安保条約調印。
8月 - イラン政変
8月 - ソヴィエト連邦が水爆保有を発表。
9月
9月 - イタリア、ユーゴスラビアとトリエステ紛争。
9月28日 - 鎌倉のモリソン屋敷で、吉田首相と重光改進党総裁が会談。重光は協力を約束。
9月末 - 池田勇人自由党政務調査会長、愛知揆一大蔵政務次官がMSAと自衛力漸増について交渉するため渡米。
10月
10月1日 - 町村合併促進法施行。
10月2日から30日まで - 池田・ロバートソン(国務次官補)会談(正式会談は7回)。
10月24日 - 保全経済会事件。後に造船疑獄に波及する。
10月29日 - 第17臨時国会召集(11月7日閉会)。
11月
11月15日 - リチャード・ニクソン米副大統領訪日。
11月16日 - 吉田・ニクソン会談。
11月17日 - 吉田・鳩山会談。
11月19日 - 来日中のニクソン米副大統領、日本への非武装憲法の押し付けはアメリカの誤りと演説する。
11月29日 - 分党派自由党(鳩山自由党)、解散。鳩山一郎ら23名は自由党に復党。三木武吉ら8人は日本自由党を結成(八人の侍)。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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