1953年の大洋松竹ロビンス
[Wikipedia|▼Menu]

1953年の大洋松竹ロビンス
成績
セントラル・リーグ5位
52勝77敗1分 勝率.403
[1]
本拠地
都市大阪府大阪市
球場大阪球場

球団組織
オーナー中部謙吉
経営母体大洋漁業
監督小西得郎
≪ 19521954 ≫

テンプレートを表示

1953年の大洋松竹ロビンスでは、1953年の大洋松竹ロビンスの動向をまとめる。

この年の大洋松竹ロビンスは、小西得郎監督の2年目のシーズンである。
概要

前年、セ・リーグ最下位に終わった松竹ロビンスが大洋ホエールズと合併し、この年から、「大洋松竹ロビンス」という名称となった。名目上は対等合併であるが、翌シーズンいっぱいで松竹が経営から撤退しており、実質的には吸収合併である。チームは4月を13勝12敗1分の貯金1で終えるが、5月に7勝12敗1分と負け越して巨人などに突き放された。5月以降広島と4位争いを演じるが、前年から順位を1つ落として5位に転落。投手陣は新人の権藤正利がチーム最多の15勝、高野裕良が12勝をあげるも、投手陣の大黒柱江田孝が7勝にとどまりチーム防御率は4.10のリーグ最下位。打撃陣は巨人から移籍の青田昇、プロ野球草創期から活躍の藤井勇岩本義行などが健闘したもの、チーム打率.246はリーグ4位。優勝の巨人に37.5ゲーム、2位の阪神に21.5ゲーム離された。カード別成績では広島に同一カード6連勝を2度記録するなど19勝7敗と勝ちまくったが、巨人戦に弱く5月中旬以降同一カード5連敗以上を2度記録し、4勝22敗と負け越しBクラスから脱出できなかった。小西監督は不振の責任を取り、この年限りで辞任した。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1小林章良
2宮崎剛
3青田昇
4岩本義行
5藤井勇
6目時春雄
7平野謙二
8宮崎仁郎
9江田孝

1953年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時最終成績
1位巨人--巨人--巨人--巨人--巨人--巨人--
2位名古屋2.5名古屋3.0名古屋3.5名古屋5.5名古屋7.5大阪16.0
3位洋松4.5大阪6.0大阪5.5大阪8.0大阪9.5名古屋18.5
4位大阪5.0洋松11.0広島13.5広島16.5広島18.0広島36.0
5位国鉄9.0広島12.5洋松16.0洋松17.5洋松23.5洋松37.5
6位広島9.0国鉄21.5国鉄24.5国鉄30.5国鉄31.5国鉄42.0


1953年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ87371.702優勝
2位大阪タイガース74560.56916.0
3位名古屋ドラゴンズ70573.55118.5
4位広島カープ53752.41436.0
5位大洋松竹ロビンス52771.40337.5
6位国鉄スワローズ45791.36342.0

[1]
オールスターゲーム詳細は「1953年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照

コーチ小西得郎
ファン投票選出なし
監督推薦岩本義行
補充選手青田昇

できごと

1月1日 -
松竹ロビンス大洋ホエールズが球団合併し株式会社「大洋松竹野球団」となる[2]

2月5日 - 大洋松竹野球団の新球団名が「大洋松竹ロビンズ」に決定(翌年、洋松ロビンスに変更)。フランチャイズは京都(衣笠球場)下関(下関市野球場)[2]と定めるが、実際には大阪球場で大多数の主管試合を実施。

12月4日 - 小西得郎監督が辞任[2]

12月19日 - 新監督に永沢武夫が就任[2]

選手・スタッフ

 大洋松竹ロビンス 1953
監督

30 小西得郎
投手


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef