1953年のテレビ(1953ねんのテレビ)では、1953年(昭和28年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。 第二次世界大戦敗戦から8年後のこの年、日本において、テレビジョン放送が開始する。まず2月1日午後2時、NHKが東京でテレビ本放送を開始。当時は一日の放送時間は約4時間程度で、また、テレビカメラがわずか5台しかなく、フィルム取材によるニュースや劇場映画などを除き大部分の番組が生放送の時代だった。 続く8月28日には、民間放送テレビ第1号となる日本テレビ放送網が開局する。同局は開局に先立ち関東地方各地に街頭テレビを設置。主にスポーツ中継(巨人戦、大相撲本場所、プロレス中継など)が人気を博す。 また、日本テレビの開局と共にテレビコマーシャルの放送も始まった。その第1号は精工舎(現在のセイコーホールディングス)の時報(正午、夜7時の2回)であった。 NHKテレビジョン本放送開始(2月1日。写真は当時の東京放送会館)日本テレビ開局(8月28日)第4回NHK紅白歌合戦(12月31日)
概説
できごと
2月1日14時、日本放送協会(NHK)東京テレビジョン(JOAK-TV)が本放送を開始。東京・内幸町のNHK東京放送会館(当時)で行われた開局式典の後、開局記念特番として、菊五郎劇団
2月20日 - NHKで初のクイズ・ゲーム番組『ジェスチャー』が放送開始。チームキャプテンは白組を柳家金語楼、紅組を水の江滝子が務め、司会は小川宏(当時NHKアナウンサー)[1]らが務めた( - 1968年3月25日)。
5月 - NHK、大相撲中継を開始(最初の中継は5月場所、蔵前国技館で開催。現在も毎年奇数月に中継)。
8月 - NHKのマイクロ回線が開通。阪神甲子園球場で開催される高校野球を中継開始(最初の中継は第35回大会。以後、現在も毎年春夏両大会を中継)。
8月18日 - 日本テレビ放送網(NTV)が10日後に迫った開局に向け、関東一円に街頭テレビを設置。
8月20日 - 日本テレビ、試験電波発射開始。
8月23日 - NHK、プロ野球中継を開始。最初の中継はパ・リーグ公式戦『阪急対毎日』戦(阪急西宮球場)。
8月28日11時20分、日本テレビ(JOAX-TV)が本放送を開始。
8月29日 - 日本テレビ、巨人戦中継を開始(『巨人対阪神[2]』、後楽園球場)[3]。
9月4日 - 日本テレビで同局かつ日本初の連続ドラマ『パック町を行く
9月5日 - 日本テレビで同局かつ民放初のバラエティ番組『ほろにがショー 何でもやりまショー』(朝日麦酒→現在のアサヒビールによる一社提供)が放送開始( - 1959年4月25日)。
9月19日 - NHK、プロボクシング世界フライ級選手権試合『白井義男対レオ・エスピノザ』戦を大阪スタヂアムから中継。
10月16日 - 日本テレビ、連続ドラマ『さつきさん』を放送開始(全11回、-同年12月25日)。
11月2日 - NHKが初の連続ドラマ『幸福への起伏』[4]を放送開始(全13回、- 1954年1月25日)。
12月31日 - 第4回NHK紅白歌合戦を東京・日本劇場より生中継。NHK紅白歌合戦はこの年から毎年、大晦日の恒例行事として定着する。
テレビ番組
NHK
NHKテレビジョンニュース
子供の時間
マリオネット(人形劇)
玉藻前
シルエット(影絵劇)
今週の明星
学校放送番組 - 1959年1月から1960年8月までの総合テレビ・教育テレビの同時放送を経て、1960年9月より教育テレビ(Eテレ)へ完全移行、現在も継続
ニュース解説
テレビ寄席
ホーム・ライブラリー
ジェスチャー
のど自慢素人演芸会
大相撲中継
テレビ時代劇 半七捕物帳
連続ドラマ 幸福への起伏
NHK紅白歌合戦
日本テレビ
NTVニュース
テレニュース
プロ野球巨人戦中継[5]
ほろにがショー 何でもやりまショー(アサヒビール一社提供、司会:三国一朗)
三共ゼスチュアクイズ - 三共(現在の第一三共ヘルスケア)による一社提供、司会:三木鮎郎
民謡風物誌
パック町を行く
さつきさん
参考文献