1953年のイランのクーデターとは、1953年8月にイランで起きた軍事クーデター。イランの首相だったモハンマド・モサッデクはこのクーデターにより失脚し、親欧米のパフラヴィー2世派であるファズロラ・ザヘディ(英語版)将軍が首相に就任した。後に公開された機密文書でイギリスとアメリカがこのクーデターに関与していたことが証明された。 モサッデク政権以前、イランの石油産業はイギリス資本のアングロ・イラニアン石油会社 1953年8月19日、パフラヴィー2世の支持勢力が集まり大規模な反政府デモが行われた[2]。イラン陸軍もパフラヴィー2世を支持し、同日夜にはモサッデク政権の要人は監禁されるか逃走した[2]。ソ連の国営メディアである『モスクワ放送』によれば、モサッデク首相の家はクーデターを支持する軍が複数台の戦車を含む部隊で攻撃したため破壊されたという[3]。 クーデターの後はファズロラ・ザヘディ
背景
概要
その後パフラヴィー2世はイランの実権を握り西側諸国と友好関係を保ったが、1979年にパフラヴィー2世はイラン革命で失脚し[1]、親欧米派のパフラヴィー2世による独裁はクーデターから27年で終了した[3]。 『フィナンシャル・タイムズ』の報道によれば、1952年代後半にイギリスはアメリカ政府に対し、石油を国有化しつつあるモサッデク首相を失脚させる計画を支援するよう求めていた[4]。 この証拠となるメモは2017年5月17日に機密指定が解除されたものだった[4]。NSAのマルコム・バーン (Malcolm Byrne) とテュレーン大学のマーク・J・ガシオロースキー
イギリスとアメリカの関与
イギリスからアメリカへの働きかけ
しかしアメリカ側、トルーマン政権は、この根拠に乏しいクーデター支援に消極的であり、イギリスは「イランの共産主義」と戦うためだと無理やり説得した[4]。トルーマン大統領とディーン・アチソン国務長官はクーデター支援を拒否したが、当時政策スタッフのリーダーだったポール・ニッツェはクーデター計画の第一歩として「キャンペーン」の実施を提案し、イギリスによる石油支配反対派の指導者であるアブルカセム・カーシャーニー(英語版)と共産主義の政党である大衆党(英語版)を標的としてあげた[4]。
だが、イギリス側はこの提案を受け入れず、任期終了が迫るトルーマン政権に決断を求めた[4]。12月3日のメモによれば、当時のイギリス大使館のナンバーツーだったクリストファー・スティールは春がクーデターに最適だと述べたという[4]。
結局のところ、クーデターが実行されたのは大統領選挙を経たアイゼンハワー政権においてである。 CIAはイギリスの秘密情報機関[注釈 2]と協力して[2]パフラヴィー2世派によるクーデターを企てた[1]。モサッデク首相就任直後の1951年からCIAはクーデターの計画を開始し、この計画には「TPAJAXプロジェクト」と暗号名がつけられていた[2]。CIAの目的は石油の国営化を進めるモサッデク首相を排除して、またパフラヴィー2世の威信や権力基盤を強化するため、ファズロラ・ザヘディ
アメリカ主導の計画
CIAはイギリスの秘密情報機関と協力して、クーデターの準備として世論を反モサッデク首相へと傾け政権を弱体化させるためにメディア、宣伝ビラ、僧職者などを利用したプロパガンダを行った[2]。また、ザヘディ将軍が首相に就任してから2日以内に秘密裏に500万アメリカ合衆国ドルの資金援助を行った[2]。 クーデターに至る前の状況は、モサッデクがパフラヴィー2世に圧力をかけており、パフレヴィー2世は権力掌握を諦めて国外へと脱出する計画を進めていた。しかし、テヘランのアメリカ大使館から「エリザベス2世がパフラヴィー2世にイランに留まるように望んでいる」と伝えられ、パフラヴィー2世は脱出計画を寸前でとりやめた。 この「エリザベス2世のメッセージ」は、もともとロンドンのアメリカ大使館からアメリカの国務省長官ダレスに宛てた外交電文で伝えられた内容で、正確には"message from Eden from Queen Elizabeth"と書かれており、アメリカ本国はこれを「イーデン外相を通じて伝えられた、エリザベス2世からのメッセージ」だと解釈していた。ところが、実際には「クイーン・エリザベス号に乗っている(大西洋上の)イーデン外相からのメッセージ」という意味であり、後に曖昧さに気付いたロンドンの大使館は間違わないように念を押す電文を改めて送った。しかし、アメリカ本国が誤解に気付いたのはイラン側に伝えた後であり、パフレヴィー2世が態度を翻して国外脱出することを危惧して訂正しなかった。このため、計画がエリザベス2世の支持を得ているとパフラヴィー2世が誤認したままで、クーデターは遂行された。 クーデター後、アメリカはイギリスに対してエリザベス2世からパフラヴィー2世への祝辞を求めたが、イギリスは拒否した[5][6]。 『AFP』の報道によれば、イラン国民はこのクーデターをアメリカの二重基準の象徴とみなしており、アメリカは自由の擁護者を自任しているが、石油など自国の利益のためなら他国の民主的政権の排除も辞さない国だと考えているという[1]。
外交電文の誤読と欺瞞
評価・影響
イラン側