1952年 全米選手権(1952ねんぜんべいせんしゅけん)に関する記事。 (アメリカ人シード選手:8名)
大会の流れ
1881年から1967年まで、全米選手権は各部門が個別の名称を持ち、大会会場も別々のテニスクラブで開かれた。これが他の3つのテニス4大大会と大きく異なる点である。
男子シングルス 名称:全米シングルス選手権(U.S. National Singles Championship)/会場:ニューヨーク市クイーンズ区フォレストヒルズ、ウエストサイド・テニスクラブ (1924年-1977年)
女子シングルス 名称:全米女子シングルス選手権(U.S. Women's National Singles Championship)/会場:フォレストヒルズ、ウエストサイド・テニスクラブ (1921年-1977年)
男子ダブルス 名称:全米ダブルス選手権(U.S. National Doubles Championship)/会場:マサチューセッツ州ボストン市、ロングウッド・クリケット・クラブ (1946年-1967年まで)
女子ダブルス 名称:全米女子ダブルス選手権(U.S. Women's National Doubles Championship)/会場:ボストン、ロングウッド・クリケット・クラブ (1946年-1967年まで)
混合ダブルス 名称:全米混合ダブルス選手権(U.S. Mixed Doubles Championship)/会場:フォレストヒルズ、ウエストサイド・テニスクラブ (1942年-1977年)
1967年までは、男子ダブルス・女子ダブルスの2部門がボストンの「ロングウッド・クリケット・クラブ」で開かれ、他の3部門(男女シングルス・混合ダブルス)はフォレストヒルズで行われた。
他の特記事項
1952年全米選手権は、日本人女子テニス選手による4大大会挑戦の出発点でもある。加茂幸子が日本人女性として最初の4大大会出場者となり、「外国人シード選手」の第6位に選ばれたが、最初の挑戦は1回戦でジュリア・サンプソン(アメリカ)に 10-12, 4-6 で敗れた。
シード選手
男子シングルス
ビック・セイシャス (4回戦)
ディック・サビット (ベスト8)
アーサー・ラーセン (4回戦)
ハーバート・フラム (4回戦)
ビル・タルバート (4回戦)
ガードナー・ムロイ (準優勝)
ハミルトン・リチャードソン
バーナード・バーツェン (4回戦)
(外国人シード選手:8名)
フランク・セッジマン (優勝、大会2連覇)
ケン・マグレガー (1回戦、途中棄権)
メルビン・ローズ (ベスト4)
フィリップ・ワッシャー