1952年の毎日オリオンズ
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1952年の毎日オリオンズ
成績
パシフィック・リーグ2位
75勝45敗 勝率.625
[1]
本拠地
都市東京都文京区
球場後楽園球場

球団組織
経営母体毎日新聞社
球団社長福島慎太郎
監督湯浅禎夫(総監督、7月まで)
若林忠志(選手兼任監督、7月まで)
別当薫(7月から選手兼任監督)
≪ 19511953 ≫

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1952年の毎日オリオンズでは、1952年シーズンの毎日オリオンズの動向についてまとめる。

この年の毎日オリオンズは、湯浅禎夫総監督、若林忠志監督の2監督体制の3年目のシーズンである。西鉄との試合中のトラブルが機動隊出動に発展した、いわゆる平和台事件の責任を取って、湯浅総監督が解任され、若林監督が二軍監督に降格された。事件後は別当薫が選手兼任でシーズン終了まで監督を務めた。2監督は翌年復帰した。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1一西本幸雄
2左呉昌征
3中別当薫
4右伊藤庄七
5捕土井垣武
6二本堂保弥
7三河内卓司
8遊長谷川善三
9投野村武史

1952年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時予選終了時最終成績
1位毎日--毎日--南海--南海--南海--南海--
2位大映1.0大映3.0大映4.0毎日3.5毎日5.5毎日1.0
3位南海2.0南海4.0毎日4.5西鉄6.5西鉄9.0西鉄8.5
4位東急4.0東急6.5西鉄6.0大映8.0大映18.0大映21.0
5位西鉄5.0阪急8.5阪急9.0阪急8.5阪急21.0予選敗退
6位阪急6.5西鉄9.5東急12.5東急13.0東急21.5
7位近鉄9.5近鉄17.5近鉄23.5近鉄27.5近鉄40.5


各108試合の予選リーグ後、上位4チームでの決勝リーグ(4試合ずつの総当り)を行い、最終順位を決定

1952年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
優勝南海ホークス76441.633---
2位毎日オリオンズ75450.6251.0
3位西鉄ライオンズ67521.5638.5
4位大映スターズ55651.458321.0
5位阪急ブレーブス49581.457920.5
6位東急フライヤーズ49590.45421.0
7位近鉄パールス30780.27840.0

*1-4位は予選リーグ(108試合)と決勝リーグ(12試合)の通算勝率、5位以下は予選リーグの勝率順で決定



オールスターゲーム1952詳細は「1952年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照

コーチ湯浅禎夫
ファン投票土井垣武別当薫
監督推薦野村武史山根俊英末吉俊信本堂保次三宅宅三

できごと

7月16日 - 雨天による天候不順の中、平和台球場で行われた西鉄ライオンズ戦、2・3回と度々中断した後、4回から毎日側は雨天中止を狙うべく、頻繁にタイムをかけるなどの遅延行為を行い、4対9とリードされた5回表に遂に雨天中止・ノーゲームとなる。これに激怒した西鉄ファンがグラウンドに飛び込んで大暴れ、20時過ぎに警備員たちによって毎日選手はようやく球場外に避難した。世に言う「平和台事件」である。
詳細は「平和台事件」を参照

7月27日 - 「平和台事件」の責任を取り、湯浅禎夫総監督が辞任、若林忠志監督は2軍監督に降格、別当薫外野手が代理監督兼任となる。

選手・スタッフ

 毎日オリオンズ 1952
総監督

35 湯浅禎夫(7月まで)
監督

33 若林忠志(選手兼任、

7月まで)

25 別当薫(選手兼任、7月から)

投手

4 相沢進

9 北川桂太郎

10 清水宏員

11 荒巻淳

12 榎原好

13 野村武史

14 佐藤平七

15 宮崎一夫

16 上野重雄

18 守田正人

21 末吉俊信

31 稲垣定雄


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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