1951年 全米選手権(1951ねんぜんべいせんしゅけん)に関する記事。
大会の流れ
1881年から1967年まで、全米選手権は各部門が個別の名称を持ち、大会会場も別々のテニスクラブで開かれた。これが他の3つのテニス4大大会と大きく異なる点である。
男子シングルス 名称:全米シングルス選手権(U.S. National Singles Championship)/会場:ニューヨーク市クイーンズ区フォレストヒルズ、ウエストサイド・テニスクラブ (1924年-1977年)
女子シングルス 名称:全米女子シングルス選手権(U.S. Women's National Singles Championship)/会場:フォレストヒルズ、ウエストサイド・テニスクラブ (1921年-1977年)
男子ダブルス 名称:全米ダブルス選手権(U.S. National Doubles Championship)/会場:マサチューセッツ州ボストン市、ロングウッド・クリケット・クラブ (1946年-1967年まで)
女子ダブルス 名称:全米女子ダブルス選手権(U.S. Women's National Doubles Championship)/会場:ボストン、ロングウッド・クリケット・クラブ (1946年-1967年まで)
混合ダブルス 名称:全米混合ダブルス選手権(U.S. Mixed Doubles Championship)/会場:フォレストヒルズ、ウエストサイド・テニスクラブ (1942年-1977年)
1967年までは、男子ダブルス・女子ダブルスの2部門がボストンの「ロングウッド・クリケット・クラブ」で開かれ、他の3部門(男女シングルス・混合ダブルス)はフォレストヒルズで行われた。
他の特記事項
この大会で、フランク・セッジマン&ケン・マグレガー組(ともにオーストラリア)が史上初の男子ダブルス「年間グランドスラム」を達成した。1951年度のセッジマン&マグレガー組の4大大会ダブルス成績は以下の通りである。
全豪選手権決勝 エイドリアン・クイスト& ジョン・ブロムウィッチ組 11-9, 2-6, 6-3, 4-6, 6-3
全仏選手権決勝 ガードナー・ムロイ& ディック・サビット組 6-2, 2-6, 9-7, 7-5
ウィンブルドン選手権決勝 ヤロスラフ・ドロブニー& エリック・スタージェス組 3-6, 6-2, 6-3, 3-6, 6-3
全米選手権決勝 メルビン・ローズ& ドン・キャンディ
(アメリカ人シード選手:8名)
ディック・サビット (ベスト4)
アーサー・ラーセン (ベスト4)
トニー・トラバート (ベスト8)
ハーバート・フラム (ベスト8)
ビル・タルバート (4回戦)
ガードナー・ムロイ (ベスト8)
ビック・セイシャス (準優勝)
バッジ・パティー (ベスト8)
(外国人シード選手:8名)
フランク・セッジマン (初優勝)
ケン・マグレガー (4回戦)
メルビン・ローズ (4回戦)
トニー・モットラム
(アメリカ人シード選手:7名)
ドリス・ハート (ベスト4)
シャーリー・フライ (準優勝)
パトリシア・カニング・トッド (3回戦)
モーリーン・コノリー (初優勝)
ナンシー・チャフィー
(外国人シード選手:2名)
ジーン・ウォーカー・スミス (ベスト4)
ジーン・クォーティアー (ベスト8)
本年度の外国人シード選手(イギリス人2名)は、不詳。 準々決勝
大会経過
男子シングルス
ディック・サビット vs. バッジ・パティー 6-3, 1-6, 4-6, 6-1, 6-4
ビック・セイシャス vs. ハーバート・フラム 1-6, 9-7, 2-6, 6-2, 6-3
アーサー・ラーセン vs. ガードナー・ムロイ 6-8, 6-1, 6-2, 6-4