1951年のル・マン24時間レース
前年:1950翌年:1952
1951年のコース
1951年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1951 )は、19回目[1]のル・マン24時間レースであり、1951年6月22日から6月23日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。 ジャガーは1950年の好成績に気を良くし、レーシングカーのCタイプを開発[2]し4台[3]を投入してワークス参加[2]した。エンジンは3,441cc[3]。 アストンマーティンは2,581cc[3]直列6気筒[3]エンジンを搭載したDB2[3]を5台[3]持ち込んだ。ゼッケンは24号車から28号車[3]。 ベントレーは4,252cc[3]直列6気筒[3]エンジンを搭載したコーニッシュ14号車[3][4]により出場した。 このほかイギリス車はナッシュ製3,846cc[3]直列6気筒[3]エンジンを搭載したヒーリー19号車[3]、1,250cc[3]直列4気筒[3]エンジンを搭載したMG43号車[3]などが参加した。 いまだドイツに対する風当たりが強い中で競技長であるシャルル・ファルーの招聘によりこの年ポルシェが初参加[2]し、2台[5]のポルシェ・356[2][6]が第二次世界大戦後最初の国際レースへのドイツ車出場[6]を果たした。これはポルシェワークスチームのレース初参加にもなった[6]。ただしエンジンはフォルクスワーゲン製[5]1,086cc[5]と小排気量で出力は45PS[5]に過ぎず、24時間を走りきるための最小限の改造を受けただけ[6]、ほぼ市販車そのままの状態であった[6]。ドライバーはフランス人コンビのオーギュスト・ヴュイレ/ エドモン・ムーシュ組が務めた[5]。 出走したのは60台[1][4][7]。 ポルシェは2台のうち1台を失った[5]。 スターリング・モス/ジャック・フェアマン組のジャガー22号車は1位走行中に惜しくもリタイアとなったが、モスは驚異的なコース記録4分46秒8、この周回の平均速度169.356km/hを残した[4]。 ピーター・ウォーカー(Peter Walker
概要
予選
決勝
結果