1950年の西鉄クリッパース
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1950年の西鉄クリッパース
成績
パシフィック・リーグ5位
51勝67敗2分 勝率.432
本拠地
都市
福岡県筑紫郡春日村(現:春日市
球場春日原球場
球団組織
オーナー野中春三
西亦次郎
経営母体西日本鉄道
監督宮崎要
1951 ≫

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1950年の西鉄クリッパース(1950ねんのにしてつクリッパース)では、1950年の西鉄クリッパースの動向をまとめる。

この年の西鉄クリッパースは、チーム創立1年目のシーズンであり、宮崎要監督が1年だけ指揮を執ったシーズンである。
概要

前年に正力松太郎コミッショナー(巨人オーナー)によるリーグ拡張構想が明るみに出ると、プロ野球参入を画策していた企業による加盟申請が相次ぎ、プロ野球再編問題へと発展した。戦前に一時的に球団(西鉄軍)を所有していた西日本鉄道はこの機にプロ野球参入を図り、「西鉄クリッパース」を結成。パシフィック・リーグに加盟した。チームは新加盟の近鉄、新球団に戦力を大量に引き抜かれた東急とともに苦戦し、シーズンを5位で終えた。そしてシーズンオフに、西日本パイレーツと合併し西鉄ライオンズとなり、この名称のチームは1年のみとなった。チームは1949年まで巨人の監督を務め、水原茂にその座を譲って総監督となった三原脩を新監督に招き、ここから西鉄ライオンズの歴史がはじまることになる。

なおクリッパース結成と同時に「西鉄野球団歌」(作詞・サトウハチロー、作曲・古賀政男)が制定されたが、西日本パイレーツとの合併・改称によりこのシーズン限りで廃止されている[1]
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1二宮崎要
2三鬼頭政一
3左木暮力三
4捕楠安夫
5右深見安博
6中笠石徳五郎
7一上野義秋
8遊長谷川善三
9投木下勇

1950年パシフィック・リーグ順位変動順位3月終了時4月終了時5月終了時7月終了時8月終了時9月終了時10月終了時最終成績
1位毎日--毎日--毎日--毎日--毎日--毎日--毎日--毎日--
2位南海0.5南海2.0南海5.0南海9.5南海12.0南海13.0南海15.0南海15.0
3位東急2.5大映5.5大映13.5大映18.0大映18.5大映14.5大映17.5大映19.5
4位近鉄3.0東急7.5東急16.0阪急20.5東急21.0東急22.0阪急25.5阪急28.5
5位西鉄3.0西鉄西鉄17.5東急21.0西鉄23.0西鉄26.5東急28.0西鉄31.5
6位大映3.5近鉄8.0近鉄17.5近鉄23.0阪急23.0阪急27.0西鉄29.5東急32.5
7位阪急5.0阪急11.5阪急18.0西鉄23.5近鉄28.5近鉄30.0近鉄35.0近鉄37.5


1950年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
優勝毎日オリオンズ81345.704---
2位南海ホークス66495.57415.0
3位大映スターズ62544.53419.5
4位阪急ブレーブス54642.45828.5
5位西鉄クリッパース51672.43231.5
6位東急フライヤーズ51690.42532.5
7位近鉄パールス44724.37937.5

個人成績
主な投手成績

※色付きは規定投球回数(135イニング)以上の選手



手登

板完

投完

封勝

利敗

戦セ

ブホ


ド勝

率投

回被

打被


打与

球奪

振失

点自

点防


川崎徳次401611215.444231.02062574115116883.43

主な打撃成績

色付きは
規定打席(打数300)以上の選手

太字はリーグ最高

選手







































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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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